沖縄をみつめよう
沖縄の歴史
沖縄県にいつ頃から人類が現れたのかは明らかになっていないが、現在の南西諸島は、最終氷期にはアジアと陸続きであり、その頃に様々な動物と共に移り住んできたものであろう。県内最古の人骨は那覇市で見つかった山下洞人(やましたどうじん)で、今からおよそ3万2千年前のものだと推測されている。また、1967年に具志頭村(現在の八重瀬町)で発見された港川人(みなとがわじん)骨はおよそ1万8000年前のものとされ、日本で初めて見つかった完全な形に近い旧石器時代人骨として有名である。
化石人骨は沖縄本島を中心に、久米島、伊江島、宮古島からもみつかっている。
しかし、県内からは確実な「旧石器」の発見はない。一部に旧石器らしき石器はあるが、研究者の間で評価が定まっているとは言いがたい。北辺の鹿児島県奄美群島からは細石器がみつかっている。また、以前はV字状に加工したようなシカの骨を「叉状骨器(さじょうこっき)」としていたが、多くはシカが異食症によって骨を噛んでできたものとする説が有力である。
港川人の年代から、続く貝塚時代までの約1万2000年間は遺跡が全く見つかっておらず、空白の時間となっている(ただし、上部港川人は1万2000年前とされる)。
参考= 沖縄の歴史INDEX
琉球王国(りゅうきゅうおうこく、正式国名:琉球國、1429年 - 1879年)とは、沖縄本島を中心に存在した王国。
最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん:フィジャイグムン)」と呼ばれた。
勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結びつきが知られる。
明、およびその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸と日本の文化の両方の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。
参考ブログ=永田町異聞 2010年05月10日 『普天間問題に見る政治報道の無責任』
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