歪んだ振り子は元に戻そう


 毎日新聞2010年05月10日夕刊 鳥越俊太郎氏「ニュースの匠」より『市民感覚危うさも』

 私事で恐縮ですが、私は昭和15(1940)年生まれの70歳。終戦時には5歳でしたので、戦中派のような体験はありません。ありませんが、 〃戦後1期生(昭和2‐年4月小学校入学)〃としては、あの日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスに目をやる時、戦意高揚をあおり続け、国民世論を戦場へと駆り立てていったマスメディアの薫任の重さを感じざるを得ません。そして、自分がそのメディアの一員となった時、メディアと世論形成の危うい関係について一日二刻たりといえども目を離すわけにはいきません。
 
 先月27日、民主党小沢一郎幹事長が代表を務める資金管理団体を巡る事件で東京第5検察審査会が「起訴相当」と議決しました。この時のメディアの反応にへ私はある種の恐怖を感じました。翌日の新聞社説や解説、そしてテレビのコメンテーターの意見はこぞって今回の議決を「市民目線の常識」として持ち上げています。「全員一致の判断は重い」(毎日新聞)、「小沢氏はまだ層直るのか」(朝日新聞)、「重い市民感覚の議決」(東京新聞)。今月3日の当欄にも「議決は国民の常識的な判断と率直な疑間が示され」とのコメントがありました。市民感覚」や「国民目線」「国民の常識」は常に正しいのか? 妥当なのか? 議決の内容の周到な吟昧抜きには、たとえ「市民感覚」だろうと、肯定できないのは当然です。


 しかし、議決の内容たるや「小沢氏は絶対権力者なのだから秘書の違反行為を当然知っていたはずだ」「従って共犯関係は成り立つ」として、「市民目線から許し難い」「これこそが善農な市民としての感覚である」と繰り返し強調しています。私は一読してこの議決には論理の飛躍があり、「市民感覚」の陰に昨年3月から1年間、東京地検特捜部の意図的な情報リークと、それに踊らされてきたメディアの世論形成の痕跡をかぎ取ってしまいます。危ないですね。

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