重大事故の検証17(JR福知山線)

 今後も犯人探しではなく事実を積み重ねて(自分なりの)検証を続けていきたい。
◎人はすべての事象を記憶しては生きていけない。忘れることによっていき続けられるという面があると思う。しかし、「失敗の原因」は次に活かしていかないと、再び失敗する。さらに大きな失敗につながる。ゆえに報道がピークを過ぎたいまからが「失敗の原因」を検証する時期だと思います。

マンション手前30mで横倒しか JR脱線事故で調査委 アサヒ・コム2005年05月18日

◎下(罪と×)にも書いている「fromガ島通信メディア崩壊の現場を歩く」でも藤代裕之さんはこう述べています。

 「どうしてこんなことまで書く必要があるのか?」、「なんか本論とずれてきているぞ?」と思う記事はこうして生まれます。そして、ある日、ぱたりとニュースが扱われなくなります。他の社が扱わなくなれば、潮が引くように「撤収」。ニュースは消費され、終わっていくのです。

◎記者会見で「暴走する記者」はいろいろな意味で波紋を拡げています。僕も署名記事の必要性を考えましたが、藤代さんの記事を読めば、最近テレビが製作スタッフなどを画面下にテロップしているように、新聞も記者だけでなくて「デスク」も責任者として掲載してもらいたいな。

 間違った報道よりも、抜かれるほうが問題になるという、マスメディアの構造が見直されない限り、今回のような報道は永遠に続きます。罵倒記者問題とJR西日本の事故報道が、この構造を見直すきっかけになればいいのですが…。難しいかもしれません。

速度や時間解析に1カ月以上必要 事故調 毎日新聞5月19日

□「YOSHIKAZEの日記」さん→ 尼崎脱線衝突事故報道への違和感 一部を抜粋しました。

今回の事故では、JR西の様々な問題点※1があげられているが、それは、これまでのJRに対する取材活動の中で指摘可能なものではなかったのか?もしくは、それを指摘して警告を発するのが本来の報道機関の役割なのではないのか?ということをまず問いたい。
※1:JR東に比べて遅れている新型ATSの導入,合理的とも言えない社内教育の実態等

◎これも以前に書いたのですが、あまりにも今の報道はそれが「本質」かもしれませんが、現象面(あるいは事後のこと)だけを追いかけ、ネタが古くならばポイという感じです。しかし、大きな事故の前には予兆があります。例えばJR西日本では「過密ダイヤ」だと思います。マスコミの人でも普通にこの福知山線を含めてJRに乗らないのでしょうか?そうした日常の変を嗅ぎ取ることもジャーナリストとして必要なことではないのでしょうか。ブログでは日常のことが多く語られていますが、藤代さんが「ブログ」について、マスコミ関係者でブログをしている人または知っている人は少ないと書いています。僕はぜひ、記者あるいはデスクの方はせめてブログ巡回ぐらいしてもらいたいと思いました。そこで、何かがみえてくるのでは。

□日経BPのJR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質


クライマーズ・ハイ

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