どうすれば勝てるかを指摘するのが名解説者・評論家

セルジオ氏には日本への愛がない

サッカーコラム J3 PPlus+より引用

【日本代表】 セルジオ越後を有り難がるのはいい加減、やめようぜ。 
■ 志半ばで日本を去ることになった。


ジェフ千葉オシム監督は2007年11月16日に千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れた。志半ばで日本代表の監督から退くことになったが1997年11月16日の「ジョホールバルの歓喜」からちょうと10年後の出来事だった。一時は危篤状態に陥ったが奇跡的に一命を取り留めた。今は自宅のあるオーストリアグラーツで暮らしているが今でも日本サッカー界ならびに日本代表のことを気にかけてくれている。

ジェフの監督ならびに日本代表の監督を務めていたときは「オシム語録」と言われて1つの1つの言葉が大きな注目を集めた。どちらかというと皮肉を言いたがるタイプで、厳しいこともストレートに言う人なので、日本サッカー界や日本代表の現状に厳しめの言葉をかけるケースは少なくないが、それでも不快感は全くない。批判的な内容であったとしても「建設的でためになる批判」であることがほとんどである。

オシム監督のように日本サッカー界や日本代表のことを今でもずっと気にかけてくれていて、「良いことは良い。」、「悪いことは悪い。」ときちんと指摘して指南してくれる人がいるというのは日本サッカー界にとっては幸せなことである。「ここ最近、体調があまり良くない。」と言われているので体調面を心配している人は多いと思うがいつまでも元気に日本だけでなく世界のサッカー界を見守ってほしいと切に願う。


■ 功績を全否定するつもりは全くない。

豊富な知識と経験を持っていて、日本のサッカーはもちろんのこと、欧州や南米のサッカーにも精通していて、幅広い知識を元に日本サッカー界に意見してくれるような人が増えれば増えるほど日本国内のサッカー文化も成熟されていくと思うが、残念ながら、なかなか難しい。「日本サッカー界のご意見番」と言われるのがセルジオ越後さんや小柳ルミ子さんになってしまうのが今の日本サッカー界のあり様である。

セルジオ越後さんの功績を全否定するつもりは全くない。現役引退後に「さわやかサッカー教室」を開催。全国を回って、当時、マイナースポーツだったサッカーの普及に貢献した功績は称えられるべきだと思うが、やはり、現役時代にスター選手として活躍した選手が引退後に監督を任されて結果を残せなかったら批判を浴びるのと同様で過去の活動に対する評価と今の仕事ぶりに対する評価は分けないといけない。

よく言われるとおり、セルジオ越後さんは「逆張りの人」である。語る対象のほとんどは日本サッカー界と日本代表とJリーグの3つになるが戦い方やシステムや制度や人選等に関して「良いのか?悪いのか?」、「是か?非か?」の判断は下されず。「とにかく反対」である。一貫しているのは「とにかく反対」という部分だけである。マイルドに表現すると「自分の意見や信念を全く持っていない人」となる。


■ 絶望的なほどの差

オシム監督は77才で、セルジオ越後さんは72才。ほぼ同年代である。オシム監督が日本代表の監督を務めていた時、セルジオ越後さんは痛烈にオシムJAPANを批判したが、大雑把に分けるとどちらも「辛口評論家」になる。同系統と言えるが、同じ試合に対する両者のコメントには絶望的なほどの差がある。片方は聞くべき箇所が多い大学教授の論文と言えるが、もう片方はせいぜい中学生の読書感想文レベルである。

もちろん、毎度毎度、大学教授の論文レベルのコメントを求めるのは酷である。時折、フランクな中学生の読書感想文レベルのコメントが混ざっていても悪くないと思うが、セルジオ越後さんから大学教授の論文レベルのコメントを聞くことは少なくともここ10年ほどは全くなかった。「おお、なるほど。」、「そういう考え方もあるのか。」。「さすがは元プロ。目の付け所が違う。」と納得させられる機会は皆無だった。

率直に言うと「日本のサッカーファンの偏差値がなかなか上がらないのはセルジオ越後さんのような人が蔓延っているからだ。」と考える。何でもかんでも否定しないと気が済まない「似非・セルジオ」が増殖しているのが今のサッカー界の良くない部分である。「選手や監督や協会や審判を(根拠もなしに)批判をしていたら満足」という人が多くなっており、活発で健全な議論の妨げになっている。迷惑極まりない。


■ 国内リーグをほとんど語ることができないご意見番

少しでもサッカーに関する知識が深まってくれば「根拠なく批判をしているのか?」、「しっかりとした根拠に基づいた批判をしているのか?」、「単なる逆張りなのか?」の区別は容易に付くが、幸か、不幸か、今の日本には「代表の試合だけは欠かさずに観る。」というライトなファンが多いのでセルジオ越後さんのチープな批判を真に受けてしまう人が多い。むしろ、そういう人の割合が一番高いように感じる。

きつい言い方になってしまうが、「セルジオ越後さんが辛口評論家として食べていけるのは日本サッカー界が全く成熟していないことの表れ」だと思う。「国内リーグ(=Jリーグ)のことをほとんど語ることができないご意見番がいる。」というのは全く滑稽な話である。こんなご意見番は世界中を探し回ってもどこにもいないだろう。極めて異常な事態であるが何となく見過ごされたまま、10年も20年も経過している。

擁護派の話を聞くと、「敢えて厳しいことを言っている。」、「日本サッカーを愛しているからOK。」と主張するが、これだけ多くの人に自分の意見を発信できる立ち位置にいる人が低レベルな批判しかできないこと、逆張りしかできないことは今の日本サッカー界にとって最も不幸な話の1つである。このポジションにセルジオ越後さんが君臨してきたことは日本サッカー界にとって大きなマイナスだった。