小池氏の「排除」発言をメディアが否定的に扱ったワケ
2017年10月25日 川井龍介 / ジャーナリスト


 今回の衆院選の選挙戦がスタートした当初は、にわかに結成された「希望の党」が、安倍晋三政権の存続を脅かすかもしれないと注目を集めました。しかし、党代表である小池百合子東京都知事が「排除」という言葉を使ったときから急速に勢力が衰え、そのまま選挙結果にあらわれました。
 民進党が、当初希望の党にまるごと「合流」するかのように思われたのが、希望の党側は受け入れる者を選別する方針を示しました。小池氏は、「全員受け入れるようなことはさらさらない」といい、「排除するんですか」と記者に聞かれ「排除いたします」と言いました。
 このあたりから、メディアは「排除の論理」といった言葉を使い、一部の議員が公認から除外される事実を報じました。それだけでなく、「排除」という言葉がネガティブな意味で取り上げられるようになりました。その結果、この言葉のもつ排他的で強権的なイメージが広がっていきました。
 また、希望の党に合流できると思っていた民進党議員の一部が、仲間に入れてもらえず世間の同情を集めました。その分、排除する側である小池氏と希望の党のイメージは損なわれました。選挙結果を見た小池氏は、「きつい言葉だったかもしれない」、「使わなければよかった」と率直に反省しています。

言葉以上の悪い印象を与えた「排除」
 排除には「おしのけてそこから除くこと」(大辞林)というきついニュアンスがあります。しかし、たとえば、「いじめを排除する」「差別する人を排除する」というように、何を排除するかで言葉のイメージは変わり、「排除」そのものがネガティブだとは限りません。


 小池氏の発言に限っては、いかにも人気や権力をかさに着た「上から目線」でこの言葉を使ったことが、言葉以上に悪い印象を有権者に与えたのではないでしょうか。都知事選のときに示した、逆境を切り開いていこうとする彼女の姿勢とは対照的だったのでなおさらです。
 政策や政治信条が異なる人とは、同じ政党で活動できないのは当然のことです。民進党の中には改憲問題など重要政策で意見の異なった議員同士が同居していました。だから、小池氏が、民進党議員すべてと手を組むことはできないと考えてもおかしくありません。民進党の中でも一緒に組むことができない人もいる、といえば問題はなかったのでしょう。
「野党がまとまれば」というメディアの潜在的な希望
 しかし、メディアによっては、排除という言葉を使ったことやその言い方を問題視するよりも「小池氏が民進党議員の一部を受け入れない」ことへの疑問から、排除という言葉をネガティブにとらえていたように私は感じました。その背後には、野党ができるだけまとまれば安倍一強体制を崩せるのにという、潜在的な希望が隠れているようにもうかがえました。


野党の団結という問題をめぐっては、「日本の政治にとっては団結したほうがいい」という意見がある一方、「団結を優先して野合になってはいけない」という考えもあります。
 「団結した方がいい」という考えの人からすれば、小池氏の排除発言は問題です。しかし、それと、今回小池氏が排除という言葉を使ったことや、その言い方が適切だったかは別のことです。
 希望の党や小池氏の肩を持つ気はまったくありませんが、この二つのことが混同して使われたような気がします。と同時に、ほんの一語でも、言葉の使い方、使われ方の怖さをひしひしと感じました。