僕も そう思う コロンビア戦 W杯

クイアバの「奇跡」とか言ってる段階で、スポーツでなく宗教か!と思ってしまう。日本代表には《勝つサッカー》をしてほしい。もう少しクレバー(賢い)な試合をやってもらいたい。臨機応変な戦略と戦術で決勝トーナメントに進んでいただきたい。


コロンビア人記者が見た日本代表
クロスを放り込むだけの単調な攻撃では、ギリシャ戦と同じ結果が待っているだけ
SOCCER DIGEST Web6月23日

 コロンビア最大の弱点であるSBの裏を、いかに連動して崩せるかが鍵。
 正直、この2試合の日本代表のパフォーマンスは、大会前の評価からすれば期待外れなものだった。とりわけギリシャ戦で露呈したように、攻撃の最終局面でのスピード不足は深刻に見える。現状のままなら、堅守を誇るコロンビア守備陣が容易に崩されるとは思えない。


 もちろん初戦のコートジボワール戦で逆転負けを喫した精神的なショックが尾を引いていた部分もあるだろう。しかし、ギリシャ戦では、50分以上も数的優位な状況で戦いながら、それを生かせずシンプルにクロスを放り込む単調な攻撃ばかりが目立っていた。

 後半には、攻撃の要となる遠藤、香川を立て続けに投入して状況の挽回を図っている。この交代により、日本の攻撃は厚みが増し、敵陣に攻め込むシーンも増えた。ただしこれは、ひとり少ない状況で戦っていたギリシャが守りに徹していた面もあり、事実、日本の攻撃は相変わらず積極性を欠き、ゴールは遠く感じられた。スコアレスドローという結果は、日本にとって負けに等しいだろう。

 ここまでの2試合を見る限り、日本の攻撃には相手DFの裏を突くプレーが少ない。遠藤、香川、本田がサイドにボールを散らし、両SBの内田と長友がクロスを上げるという工夫のない攻撃に終始していたのでは、スペイン語で言うプロフンディダ(=攻撃の奥行き)は生まれない。長身選手が揃うギリシャDFに簡単に撥ね返されていたのもうなずけるというものだ。

 日本がグループリーグを突破するためには、コロンビア戦での勝利が絶対条件となった。日本にとって、つけ入る隙があるとすれば、すでにグループリーグ突破を決めたコロンビアがC・サンチェス、ジェペスグティエレスといった主力を温存する可能性が高い点だ。いずれもチームに欠かせない存在であり、戦力の低下は十分に考えられる。

 コロンビアの両SBの背後は、大きな弱点のひとつだ。とりわけ、左SBのアルメロはフィジカルコンディションが万全でなく、ディフェンス面での最大の穴となっている。ただし、組織的な守備は、内田、長友の単独突破のみで崩されるほど脆くはない。遠藤、本田といったキープレーヤーとの連動した崩しでなければ、ギリシャ戦と同じ結果が待っているだけだろう。

 つまり、我々との最終戦において、日本にとっての戦術的テーマは前述した「プロフンディダ」をいかに生み出せるか。それに他ならない。この点をしっかりと修正したパフォーマンスを繰り出してくるのであれば、コロンビアの選手起用やモチベーションなどの状況も鑑みて、勝負は五分五分と見る。1分け1敗の日本にとっては、1点差の勝利では不十分で(※コートジボワールギリシャが引き分ければ、2点差以上の勝利が必要)、高温多湿の気候もマイナス条件となるが、アジアチャンピオンとしての意地を見せてほしいものだ。

文:アンドレス・バロン
翻訳:下村正幸

【W杯】日本代表の停滞を招いたサッカー媒体の堕落。1敗1分は“メディアの敗北”である
フットボールチャンネル6月24日(火)15時47分配信


広報化するサッカーメディア
 明日早朝、コロンビアとの一大決戦に挑む日本代表。厳しい状況ではあるが、可能性は残されている。最後まで諦めずに戦って欲しいし、良い結果になることを願って止まない。

 だが、コロンビア戦を前にどうしても書いておくべきことがある。それはメディアのあり方だ。この試合の後になってしまっては勝利の余韻、あるいは敗北の懺悔でうやむやになってしまう。遅きに失した感はあるが、これを逃すともうこのタイミングはやってこない。

 コートジボワール戦、ギリシャ戦での停滞はなぜ生まれてしまったのか。要因はさまざまある。キャンプ地の是非、監督の采配、選手の戦術理解、4年間のチーム作り……。その一つにメディアも含まれる。

 ザッケローニ監督が就任して以降、メディアとしての責任を果たせた媒体がどれだけあるだろうか。私自身を含めて、反省すべき点は多々ある。一部の記者を除けば、選手や監督の言葉はただただ垂れ流されているだけだ。

 取材時も鋭い質問をする記者は少ない。耳を傾けることはあっても、選手に同調してばかりで指摘することはあまりない。日本サッカーは成長過程で、未熟だ。だからこそメディアが日本サッカーの成長をうながすための役割を担わなくてはならない。

 取材をして、「あーそうですね。なるほどなるほど」だけでは、情報は伝わるかもしれないが、選手の成長は期待できない。ただ一般読者に伝えるだけなら広報でいい。今のサッカーメディアの多くは単なる広報媒体に成り下がり、メディアとしての責任を果たしているとは言えない。



必要だった岡崎への厳しい指摘
 試合後、あるいは練習後の取材で時には厳しい指摘をすることも必要だ。選手が顔をしかめたとしても、それが選手のためになるならば迷わずやるべきだ。記者との厳しいやとりが選手を育てる。それで潰されるようなら、それまでの選手だということだろう。記者のプレッシャーに負けるような選手が、W杯のプレッシャーに勝てるはずがない。

 岡崎慎司コートジボワール戦後にこんなことを言った。「勝たなくてよかったと、正直、今は思っている。あのまま勝っていても、得るものはなかった」と。真意はどうあれ勝つことが最重視されるW杯でこのような発言をしてはいけなかった。

 私は直接聞いたわけではないのでやりとりは不明だが、記者は一言「岡崎選手、それは違うのではないですか?」と指摘すべきだった。得るものは間違いなくある。勝ち点3と決勝トーナメント進出への扉だ。

 ある媒体には「日本代表をポジティブに見るべき」という主旨の記事が掲載された。確かに一理ある。勝利のために選手・監督・協会・サポーターが一丸となって戦うことは必須条件だ。だがそこにメディアが入ってはいけない。

 臭いものには蓋とばかりにはネガティブな部分を論証せず、4年間、ひたすらザックジャパンをタレントのように持ち上げてきた結果がW杯での1分1敗だ。ポジティブに、建設的に見る一方で、メディアであるなら冷静に客観的な姿勢を忘れてはならない。

 フットボールチャンネルは比較的厳しいスタンスで代表について報じてきたが、それでも十分ではなかったと思う。例えば、吉田麻也。6月7日にブログを更新し、自分が出演する番組の宣伝をしていた。戦う気持ちになっていない。しかし、特に指摘することなくやり過ごしてしまった。

例えコロンビアに勝利してもメディアとしては敗北
 サッカー界には「サッカーファミリー」という言葉がある。明確な定義は不明だが、同じサッカーを生業にする者、サッカーを好きな者同士、みな家族。そんな意味合いだろうか。それ自体は素晴らしい言葉だ。しかし、信じられないことに、メディアにも「ファミリー」の一員であると思っている人間は多くいる。

 メディアとは公平で、冷静でなくてはならない。取材対象者と“ファミリー”になっては、厳しい指摘ができようもない。もちろん選手に嫌われる可能性もある。だが、それを恐れるばかりにイエスマンになっては、日本サッカーの成長は望めない。

 持ち上げるだけ持ち上げて、大会後に結果が出ないと総叩き。それこそポピュリズムの最たるもので、まったく生産性がない。「ポジティブになるべき」「ネガティブになるべき」、このようなどちらかに傾倒する空気感こそが危険だ。

 真実を正しく報道する。それこそメディアに求められることで、それ以上でも以下でもあってはいけない。たかがメディア、されどメディアだ。ペン1本でできることは限られているが、やるべきことは多い。

 サッカーを追う記者の中にも真摯な姿勢で報道活動をする者は間違いなく存在する。私は何人も知っている。だが、残念ながら大勢に押されている。今はWEBが普及し、多くの人に記事が読まれる時代だ。情熱を持った記者の原稿は、あふれるばかりの“垂れ流し記事”に埋もれることも多い。ある意味、数の暴力。第二の一億総白痴化は近付いている。

 コロンビア戦はどのような結果になるだろうか。もちろん勝利することもあるだろう。その先に進むことも十分可能だ。それは選手・監督の奮闘、そしてサポーターの熱烈な応援によるものに他ならないが、メディアが役割を果たしたからではない(胸を張っていい記者は一部だ)。

 ザックジャパンの4年間の総括は大会後にすべきだ。だが、メディアとしては総括してもいいだろう。自力突破の可能性なく3戦目を迎えた。これはメディアとして敗北の結果と言っていい。

植田路生



銀翼のイカロス

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