社民党 「米軍基地を拒む沖縄、歓迎するテニアン(照屋寛徳議員)」

 

 本土(東京)のマスコミは徹底的に普天間基地移転を歓迎する北マリアナ諸島の記事を無視する。ほとんど米国のいいなりだ。

社民党Official Webより引用

 4月9日、安保委員会を終え、夜に成田空港を出発し、サイパンテニアン島へ視察・住民との対話集会に出かけた。今回は、正式に社民党沖縄基地問題対策プロジェクトチームの座長として、党政策審議会の野崎君、服部良一議員秘書の森原君、沖縄県議会議長の郄嶺善伸氏が同行した。(郄嶺議長は公務ではなく、議員の政務調査として同行する。)

 昨日(11日)夜に、視察を終えて帰任した。視察は大変に有意義であり多くの成果を得た。先ず、私や社民党は、普天間飛行場の移設先として、グァム、テニアンなどの北マリアナ諸島を第1候補地として挙げているが、その正当性が一層明白になった。次に判った事は、沖縄は米軍基地(海兵隊)を拒んでいるが、テニアンは大歓迎だ、という事実である。

 私が、サイパン島チャランカノアのススペ米軍捕虜収容所で生まれた事はブログにも書いた。亡くなった両親は、戦争時にはサイパン島に居住していたが、沖縄から出稼ぎで最初に渡ったのはテニアン島である。
 
 去る大戦で、サイパンテニアンでは多くのウチナーンチュの尊い命が失われた。バンザイクリフの悲劇もある。私としては、第2の故郷ともいうべき彼の地にフテンマを移せと主張するのは複雑な心境ではある。

4月23日の日記に 『社民党が基地移設を「島民が喜んでいる」と発言するのはいかがなものでしょうか。』と批判的な記事を書きました(本当は米国の軍事基地はいらないのだけれど「北マリアナ諸島は普天間の移設を心から歓迎する」宣言に心中複雑)が、照屋寛徳(てるや・かんとく)衆議院議員の過去は知らなかった。


 4月10日、朝にサイパン島のおきなわの塔に眠る霊前に線香を焚き、祈った。昼食時、テノリオ下院議長と昼食をしながら意見交換する。サイパンテニアン、ロタ島で構成する北マリアナ連邦政府の議会は、上下両院がある。上院は9名で、各島3名ずつの議員で構成され、下院は20名(サイパン18名、テニアン1名、ロタ1名)である。テノリオ下院議長はかつて知事も務めたことのある人で、人望厚く、信頼されている政治家との評判を聞いた。

 フィティアル知事にも会いたいと思ったが、病気治療でアメリカ本土に行っているとの理由で会えなかった。フィティアル知事が私との面会を断ったのは、日本政府高官から「この時期、社民党代表団と会うべきでない」との圧力があったとの噂があり、真偽は不明である。

 テノリオ下院議長は、「サイパン島内には、米海兵隊を受け入れる土地はない。テニアン島民がこぞって海兵隊移駐を大歓迎している事は事実だ。自分もテニアンへの移駐を支持する。恐らく北マリアナ上下両院議員で総意だろう。」と明言した。

 4月11日、テニアン島に渡る。テニアンでは、デラ・クルツ市長、テニアン選出の上下両院の議員、弁護士、市役所職員、女性代表2名、キャンプ・ハンセン勤務経験を持つ元海兵隊員ら約20名と意見交換をした。

 デラ・クルツ市長や参加したメンバー全員から、フテンマ飛行場(在沖米海兵隊)の移駐を大歓迎するとの発言があった。テニアンは現在でも島の3分の2を米軍基地として貸している。テニアンの人びとは、海兵隊の訓練移転ではなく、海兵隊の部隊移駐を強く望んでいた。

 移駐を希望する海兵隊の人数、規模については、市長から「兵隊4,000人とその家族」との表明があった。しかし、日米両政府が合意すれば、人数・規模の拡大は意に介しないとの事であった。

 私が、「海兵隊の移駐に伴う事件・事故その他の不安はないか」と尋ねると、「自分達はアメリカへの忠誠心がある。海兵隊員にはいい人も悪い人もいる。部隊移駐による雇用増やインフラ整備に期待したい」などと答えていた。

 デラ・クルツ市長、出席した上下両院議員、同席したテノリオ下院議長は、速やかに海兵隊誘致決議を採択し、日米両政府にアピールしたい、とも語った。その上で、社民党も連立政権の中でテニアン移駐を進言して欲しい、と逆要請された。

 鳩山総理が公言する5月末決着が刻々と迫る中で、相変わらず普天間の「県内移設」ありきが囁かれている。総理、官邸、外務、防衛の関係者は、真剣に社民党が主張するグァム、テニアン移駐の可能性を検討し、アメリカと交渉すべきだ。2010年4月12日 12時25分