南無阿弥陀仏について

 今年は数少ない記事をアップ(すいません失礼な書き方です)される『彰の介の証言』さん 3月に入り3本目(決して批判しているのではなく大ファンです=言い訳w)の「開眼供養」(3月25日)に触発されて、「南無阿弥陀仏」について言葉の意味を聞こうとしましたが、今年も法事があり、40分も一緒にお経を唱えさせてくれる心やさしいお坊さんに、下手に由来を聞くと、滞在時間がもっと延びるのを怖れて、聞けなかった。


 「今日の気になるブログ 彰の介の証言さん 選挙とブログ」(2005年9月7日)


  2005/05/07の『記者は遺族の代弁者か?』が初見かも?


 彰の介さんと同じで戦国武将が好きで、お城も好きです。わたしの先祖は(不確か)明智光秀さまの家来で、山崎の合戦(1582年)には参加せず、亀山城で留守番していて、敗戦の報で、慌てて京都北部の丹後まで落ち延びたらしい。そのころ丹後半国(西部)は一色義定氏が支配し、明智氏に味方していたため。同年9月に豊臣の味方となった細川氏にほろぼされている。明智家臣の子孫ゆえに豊臣秀吉は嫌いだ。 


 わたしと連れの実家は、浄土宗を信じているらしい(死んだら大阪市天王寺区にある「一心寺(いっしんじ)」(浄土宗)に納骨してもらいたいと大阪人は良く言う人が多いし、母親も義母もそのようだ)

    


 一心寺の おせがき


 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』=南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、南無阿弥陀佛、南無阿彌陀佛)とは、「南無」はnamo (sanskrit) の音写語で「わたくしは帰依します」と意味し、「阿弥陀仏」は、そのサンスクリット語の「無量の寿命の大仏 (amitaayus)」「無量の光明の仏 (amitaabha)」の「はかることのできない」という部分のamita (sanskrit) を略出したものである。『一遍聖絵』には「なもあみたふ」と表記されているので、鎌倉時代には「なもあみだぶ」と発音していたようである。

 阿弥陀仏は、みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代って完成し、これを名号(南無阿弥陀仏)に収めて衆生に回向している。

 ちなみに私も連れも、浄土真宗西本願寺派)の大学なのに、しかし、お坊さんの免許?を取得してれば、夏の休みだけアルバイトできたかもとおもってしまうほど脱宗教組です。ただ、霊魂=あくまでも身内ですが、島根県江津市に住んでいた時、大阪で祖父が亡くなった夜に(朝に近い) 祖父が(これが輪郭がはっきりしないが)、実に温和な顔で何も言わずに、立っていた。これは宗教とかは関係のない事柄だが、霊魂は(関ヶ原なんか何万もの霊魂が存在するかといえばウソになる)その人の血縁者だけに存在すると信じる。