検察こそ 菅家さんに 謝罪を


   写真:毎日新聞


朝日新聞より引用

 栃木県足利市で1990年に当時4歳の女児が殺害された「足利事件」で、無期懲役刑での服役中に釈放された菅家利和さん(63)に対する再審が3月26日、宇都宮地裁であり、佐藤正信裁判長は無罪判決を言い渡した。

 判決言い渡しの後、佐藤裁判長は「17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となり、申し訳なく思う」と謝罪し、3人の裁判官が立ち上がって菅家さんに深々と頭を下げた。再審で無罪を求めた検察側は同日、控訴しないことを地裁に申し立て、無罪が確定した。91年12月の逮捕から18年以上を経て、菅家さんの冤罪がようやく晴れた。


 判決はまず、逮捕当時の警察庁科学警察研究所科警研)によるDNA型鑑定について、型が一致するか判断するには不鮮明で「科学的に信頼できると認めるには疑問が残る」と述べ、「科学的に信頼される方法で行われた」と認めた2000年の最高裁決定を否定。DNA型再鑑定の結果、女児の下着に付着していた真犯人のものとみられる体液のDNA型と、菅家さんの型が一致しなかったことを踏まえ、「証拠能力がない」と判断した。


 続いて、犯行を「自白」した菅家さんの供述についても、「それ自体信用性は皆無で、虚偽であることは明らかだ」と認定した。判決は、逮捕後の取り調べで県警の捜査員が科警研鑑定の結果を菅家さんに告げたことが、「自白」に至った最大の要因となったと指摘。「強く言われると反論できない菅家氏の性格からすると、捜査官の気に入られるように供述した」と述べた。


 さらに、判決は、検察官が初公判の後の92年12月、勾留(こうりゅう)中に否認に転じた菅家さんを法廷外で取り調べ、再び自白させたことについて、「刑事訴訟法の大原則に反する違法な取り調べだった」と批判した。


 佐藤裁判長は「二度とこのようなことを起こしてはならないという思いを強くしています」と謝罪の言葉を述べた。判決後、菅家さんは「感無量です」と述べた。吉永岳央氏、河原田慎一氏)


 参考=魚住昭責任総編集 ウェブマガジン 「魚の目」2009年6月29日

 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』=足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。
 犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日生、栃木県出身)さんと、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、釈放された。

  出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』=DNA型鑑定(-かたかんてい)あるいはDNA鑑定とは、DNAの多型部位を検査することで、個人識別するために行う鑑定である。犯罪捜査や、親子など血縁の鑑定に利用されている。また、作物や家畜の品種鑑定にも応用されている。