1カ月ルールなんて誰も知らなかったんじゃないかな。

 国民のほとんどと政治家そしてマスコミ(今頃えらそうに言っているが)もこんなルールがあることさえ知らなかったと思う。日本(外国でも同じ)では事が起こると、一種の「ヒステリー状態」になり、また主張がどれもこれも似たり寄ったりになる。少し時間がたつと下記の日経のような「まともな」論調になってくる。理想としては、最初にこれくらいをかけるようになってもらいたい。


天皇陛下の特例会見問題」 本質外れた政治論議 2009年12月16日 日本経済新聞

天皇陛下と外国要人の会見は1カ月前に要請するという「ルール」に沿わない形で中国の修近平国家副主席との会見が特例で認められた。これに対し、宮内庁長官が「天皇の政治利用」と公然と政府の決定を批判、与党の幹事長が応酬する前代未聞の事態となった。

 
 政府・民主党宮内庁双方が慎重、冷静さを欠き、必要以上に問題を大きくした感がある。天皇の政治利用が大きな問題となった例としては、1973年、当時の増原恵苦防衛庁長官昭和天皇に内奏した際の「近隣諸国に比べて(日本の)自衛力が大きいとは思えない」などという天皇の言葉を明らかにし、批判を受けて辞任したことがある。戦前、天皇の大権が軍部に利用された苦い歴史を踏まえ、政府当局者は天皇とのかかわりに関して言葉一つでも細心の配慮が必要であるという教訓になった。政府はそういう前例を踏まえて、今回の天皇会見を考慮したのだろうか。


 民主党小沢一郎幹事長は「1カ月ルール」について「役人がつくったから金科玉条で絶対だなんてそんなバカなことあるか」と述べた。何らかの決め事がなければ、天皇と政治の関係がなし崩しになる危険性を理解した上での発言だろうか。また、同幹事長の「それ(会見)よりも優位性の低い行事はお休みになればいいことじゃないか」という言葉や、平野博文官房長官が会見に難色を示す羽毛田信吾宮内庁長官に「日中関係の重要性にかんがみて内閣としてぜひお願いする」と言ったとされることなどは、国の重要度で差をつける政治的判断を要求しているに等しい。


 一方、事態を政治問題化した責任は羽毛田長官にもある。1カ月ルールは法的な根拠のない内規にすぎない。実施は5年前からで、長年の慣習でもない。このような事項に関する意見の対立は内々に調整すべきことだ。官房長官との電話のやりとりまで暴露して、政府批判を世間にアナウンスしたのは行き過ぎといえる。
 

 日本国憲法は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ」として、国会召集など10項目の国事行為を記しているが、外国要人との会見や外国訪問は合まれていない。憲法の趣旨が天皇の国事行為の制限にあることを考えると、「天皇外交」は法的にあいまいな公務である。
御厨貴東大教授は「外国要人との面会はすでに政治性を帯びており、政治利用にあたっているといえるだろう。本質から離れたところで議論が行われている」と政府と宮内庁の対立を見る。天皇による国際親善は国民に受け入れられているが、各国の首脳クラスとの会見については深く議論されてこなかった。政治との距離を考えれば、民間との交流で十分との意見もある。政治と近接する天皇の公務が容認され、憲法、政治について根源的な議論や決まり事は回避されてきた。表層的な部分で政治の介入を言い立てるのでは、恣意(しい)的に政治的、非政治的なものをより分けているとの批判は免れない。羽毛田長官は温厚篤実な人柄で、決して自己主張の強い人ではない。今回の発言は天皇陛下の年齢、体調に配慮するゆえのものだが、思いが高じるあまり、言わずもがなのことを付け加え、「政治利用」という言葉を独り歩きさせてしまったのではないか。本質を外れた形式論で言い争うのではなく、今回の問題を「天皇外交」のあり方を論議する契機にすべきだろう。(編集委員 井上亮)