大浦みずきさんのお別れの会


産経より

 「宝塚のフレッド・アステア」と呼ばれたダンスの名手で、11月14日に肺がんで死去した宝塚歌劇団花組トップスター、大浦みずきさんのお別れの会が12月2日、東京・新宿の千日谷会堂で行われた。53歳という早すぎる死に、宝塚関係者やファンら約3000人が参列、喪服の列は会場最寄りのJR信濃町駅まで100メートル近く続いた。

 祭壇には、清楚(せいそ)な白いドレス姿の大浦さんの写真と、愛用の銀のスパンコールのドレスが置かれ、その周囲を宝塚退団時と同じ、真っ赤なバラの花束が彩った。

 大浦さんの父で作家の阪田寛夫さんと親交の深かった作家の三浦朱門さんは弔辞で、阪田さんが学生時代、規則破りをする際は宝塚音楽学校校長を名乗っていたエピソードを披露。「なつめちゃん(大浦さんの本名)は、(宝塚レビューの基礎を作った)白井鐵造氏にあこがれていたお父さんの夢の一端を実現した」とたたえ、「地球の重力から解放されて踊り続けるような気がする」と締めくくった。

 また宝塚歌劇団特別顧問で、「ベルサイユのばら」など大浦さん主演の舞台を演出した植田紳爾さんは「なーちゃん、あなたは僕より二回り若い。順番を間違ったのが悔しい」と語りかけ、「今日はサヨナラ公演ではなく、新しい出発だ。苦しかった長かった闘病生活から解放され、シャープなダンスを踊ってください」と思いを込めた。


 さらに小学生時代を東京・中野の同じ団地で過ごしたエッセイスト、阿川佐和子さんは「まさか幼なじみの弔辞を読むとは。その初体験がなっちんだとは。3つ下のあなたが…」と声を詰まらせ、幼いころの思い出を語った。大浦さんは文章のうまさも知られており、阿川さんの小説「ウメ子」のあとがきも執筆している。

 宝塚で同期だった元月組トップスター、剣幸(つるぎ・みゆき)さんは 

なーちゃん、何で私は今、写真を見て泣いているのか理解できていません」と声を震わせ、ともに歩んだ宝塚での生活を振り返り、「私はあなたの汗だくの顔、必死な顔、ほほえんでいる顔、いろいろ知っていますが、一つだけ見たことのない顔が怒った顔です」と細やかな配慮をする大浦さんの人柄を伝えた。

 さらに高汐巴(たかしお・ともえ)さんや安寿(あんじゅ)ミラさん、真矢(まや)みきさんら元花組の宝塚OGら38人が中心となって、大浦さんが主演の舞台「テンダーグリーン」の主題歌「心の翼」を合唱。「心の翼よ今 届かぬ思いをのせ 愛しい命のもと はばたけ願いを込め」(正塚晴彦氏作詞)という歌詞に、目頭を押さえる参列者も多かった。

 最後に喪主で姉の内藤啓子さんが、1年にわたる闘病生活を振り返り、亡くなって病院を出る際、東京・日比谷の東京宝塚劇場と帝国劇場の前を通って別れを告げたことを明かした。「憎むべきはガンですが、この1年、妹と向き合えたのが唯一の恵み」と話し、「妹の舞台に夢と元気をもらったとおっしゃっていただいたが、妹が皆さんから夢と元気をもらっていたとつくづく思った」と涙をこぼしていた。