ブログについてちょっと考えてみたら何だか頭が悪くなるような気がするので紅茶を飲んでマイルスを聞きたい気分(植草甚一先生風タイトル)

 2日前から書いている福岡長征でANAに乗ったら、機内誌「翼の王国」に植草先生をめぐるエッセイが載っていて、持ち帰りおKなのでホテルでそのページだけ切り取ってあとはゴミ箱にすてちゃった。そんな影響と文体をタイトルにしてみました。
マイルスとコルトレーンの日々 (植草甚一スクラップ・ブック)
 さて、ほかの方のブログにはじめてコメントを書いてしまった(たぶん今日は時間の余裕があったから)悪口ではありません。実にその反対で同感だなと思い劣文にもかかわらずとりとめもないことを書いた。
「若隠居さんの徒然日記」のエントリー=「マスゴミ」批判に並ぶ「ブロゴミ」批判は正当か
ここで、超有名なブロガー団藤氏の「ブログ時評」T記者名暴露:新時代象徴なら貧しすぎる [ブログ時評23]=http://dando.exblog.jp/2781311/を取り上げ文中の他のブログも関連させて、こう述べておられます。

たしかに、ブログで記者氏の実名をさらして誹謗中傷して自己満足するのは、お品がないし、何の意味もないです。人権擁護法案のことを思い出しても、集団舌禍というかマスヒステリーというか、あります。同感です。

ただ、べつにそういうエントリを書いた人を擁護するわけではありませんが(これ重要)、ブログ人口が増えてくるにつれて、雑多になってくることは仕方がないなとも思います。それがネットというもの、ブログというもので、「ブロゴミ」と非難したって意味がない。s>

むしろ、ブログの利点は、この事例のように(人権擁護法案関連でも同様だったと思いますが)ブログ上で対抗意見を述べることができること、です。「ちょっと、そりゃあやりすぎだよ、日頃非難してるマスコミと同じことをやってるじゃないか」と言える。それが、マスコミには言えない、言っても聞いてくれない。マスコミは「裸の王様」状態じゃなかったでしょうか。

◎まだブログはじめて半年という駆け出しには「勇気」をもたらせてくれます。僕は特に強調させてもらつた 『ブログの利点はブログ上で対抗意見を述べることができること』これに尽きます。「ちょっとそこのところおかしんじゃないの」と言えるのが、新米ブロガーとしての意見です。だから、ブロゴミという言葉の使用は好きになれません。
それから、有名あるいはヒット数の多いブログに(すいません全部巡回したわけじゃないので)「ブログは終わった」式あるいは的な論調で、さも高みから見下ろした文章が目につきます。これも、ようやく「言葉」が操れるようになったブロガーの独り言です。

◎共感できるブログを発見したのでTBしました。 
□「好むと好まざるとにかかわらず」さんの ブログの終わりじゃなくて、アルファブロガーの終わりでしょ(笑)
◎下記の点にすごく同感なので抜粋しました。

ある引き篭もりブロガーは荒れるブログを作るには「見下して馬鹿にすればよい」と書いた。まあこれに尽きるだろう。では現在荒らされているアルファーブロガーは読み手を見下して馬鹿にしたのだろうか? 僕の答えはYES(笑)

◎「あざらしサラダ」さんの=【ブログの現状(「現実の社会」を意識したコミュニケーション)について考える】もブログについて考えさせられます。参考になりました。少し引用します。

 繰り返しますが、ブログは「自分とは異なる人々、異なる才能をもつ人々、異なる文化をもつ人々」との出会いを可能にする非常に優れたコミュニケーションツールです。
 ただし、これからの時代ますます重要になると言われている「弱い紐帯を通じて結ばれる人的ネットワーク」を構築するためには、ブログにおけるコミュニケーションを「現実の社会」を意識したコミュニケーションへと変えていくことが不可欠だと思います。
 そして、そのための仕組みをブログ全体でどのようにして作っていくのか、私たちブロガーにアイデアが求められているのかも知れません。