福岡探訪小記

makyabery2005-05-22

気象庁の事前予報に反して朝から小雨が降っています。連れが無茶早く起きてごそごそしていたから、6時40分に起きてしまった。でも、7時前には起床と予定していたのでほぼ「想定内」ですw。交響詩篇「エウレカセブン」第06話「チャイルドフッド」[Childhood]がRKB毎日放送(福岡)で放送です。今週もよかったな。

◎朝食はホテルの洋食バイキング。連れは僕の倍近く食べていました(先に部屋に引き上げたので詳細は不明)。9時にチェックアウトし、大きな荷物は宅配サービス(500円)で空港へ送る。博多はバスがやけに多く走っています。4台が連結するようにJR博多駅方面に行きます。僕たちは歩いて15分かかって着いた博多駅の交通センター(市バス)で定期市内観光を探しますが、午前の部は一足違いで出たところでした。仕方ないので、博多駅からふたたび1日乗車券(福岡市交通局の地下鉄)で天神駅へ、また天神地下街を歩いて、西日本鉄道西鉄福岡(天神)駅へ。ここからは天神大牟田線で特急で行くと2つめの停車駅「二日市駅」で大宰府線(2.4キロ)で乗り換えここも2つめの駅が終点の大宰府駅(京都嵐電の嵐山駅に似ています)。片道390円でした。案外安い。

◎駅から右へ行くと参道というかみやげ物&梅が枝餅屋さん通りです。すぐ鳥居が見えて、しばらく歩くと[http://www.dazaifutenmangu.or.jp/home.htm:title=大宰府天満宮]の本殿です。一応、無信仰(つまりなんでもおk)なのですが連れが50円くれたので家内安全(50円で世界平和は無理)だけお願いしました。昼食は11時30分でしたがおなかめちゃ減ったので、そばとてんぷらのセットを頼みました。連れは、さすがに食いすぎで「抹茶セット=抹茶と梅が枝餅菅公が榎寺に謫居されていた際、安楽時の門前で老婆が餅を売っていた。公の境遇に同情して時折この店に迎え、また餅を持参しては公の無聊を慰めた。公が薨去された時、公の好物であったこの餅を梅の枝にさして霊柩に供えて送った。この故事にならい梅ヶ枝餅と称して売り出されたが、この餅に公の霊が通じたか梅ヶ枝餅を食うと病魔を防ぐに特効があるというので著名となった。らしい)中にあんこが入った至極平凡な焼餅ですが。さて、大宰府天満宮は↓のようなところです。それにしても観光客に韓国・台湾・中国の方が多かった。

太宰府天満宮は、菅原道真(すがわらみちざね)公(菅公)の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」さんとして知られています。
 延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えました。その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立しました。
 醍醐天皇は大いに菅公の生前の忠誠を追懐されて、延長元年(923)に本官を復されました。そして、一条天皇正暦4年(993)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められた。その後、度重なる勅使の下向があり、22社に準ぜられました。明治4(1871)年、国幣小社に、同15(1885)年には官幣小社、同28(1898)年には官幣中社社格を進め、天神さまの聖廟(せいびょう)の地と称えられて年間700万余の参拝がある。らしいw。

◎天神に帰ってきたけど、昨日からよく歩いたので、もう歩きたくない。連れはまだ朝食パワーが残っていて、博多駅で「辛子明太子」を(そこしか売っていないらしい)探しに行くというので、僕は勘弁してもらい、「天神東宝」で「交渉人 真下正義」を観る。予想外にいいのだ(鉄道関係者だから)。これについては後日書きます。

チョロQ 交渉人 真下正義チョロQ

チョロQ 交渉人 真下正義チョロQ

◎映画がよいと食欲もでてきます。連れの買い物も無事大量の「辛子明太子」とともに終わり合流しました。その映画館の近くですごい行列を発見したので、ふらふら行ってみると、何屋さんかわからない(知ってる人からすれば驚くだろうが)、並んでいる品のよいおばさんに聞くと「評判のラーメン店よ」と教えてくれました。おばさんも県外の人でしたがおいしいので食べにきたそうです。(しかし、後から=ネットで=調べたら、この店は「西通り店」で、大名本店とは違ったみたい)僕らもしばらく並んで、「白丸元味」(600円)を注文、トッピングは半熟煮卵(すごく大きくて絶品です=100円)。

博多 一風堂』のHPを読むと、
最初の店が産声をあげたのは1985年10月16日。現在の大名本店とは通り1本離れたところにできた11坪18席の小さなラーメン屋。当時のチラシには「一風堂のラーメンの特長は、ただていねいに時間をかけてダシをとり、まじめに麺を吟味することです」と書かれている。

さて、味オンチの僕でもおいしいか、おいしくないかぐらいは分かります。しかし、具体的に説明ができないので、再度HPより ↓

「白丸元味」
昭和60年の一風堂創業以来、多くのお客様に支持され続けている・白丸元味・は素材、製法を変えつつも、サッパリとした口当たりとまろやかさは昔のままです。
 一昼夜かけて煮出したスープは、強い火力で余分な脂を飛ばし旨みだけを引き出しているので、独特な豚臭さがありません。現在、白丸元味と赤丸新味のスープは背骨とゲンコツで煮出した上品なスープと豚頭だけの昔ながらのスープをブレンドする・ダブルスープ・という新しい製法で提供しています。これはそれぞれのガラの旨みを引き出す為に別 々の釜で取っており、お客様の口に入る直前にこの2種類のスープをブレンド。とってそれぞれの旨みが合わさった深みのあるスープが出来上がるわけです。

「うまいラーメンをつくりたい。お客さまの笑顔を見るとさらにやる気がわいてくる」一風堂にはそんな若者が大勢働いていました。