八重の桜の真実

不破ユウ(1864―1936年)は、同志社の学校の一つである同志社病院京都看病婦学校の第2回の卒業生です。血清療法の研究などで著名な北里柴三郎(1853―1931年)の従妹にあたります。医療宣教師のJ・C・ベリーからは医学を、また、L・リチャーズからは看護学を学びました。看病婦学校を卒業した1889(明治22)年の秋から群馬県の前橋に住み、9月には、熊本バンドの一人で前橋教会の牧師であった不破唯次郎と結婚しました。同じ年の11月の末、前橋で発病した新島襄を約2週間看病しましたが、翌年の1月には、神奈川県は大磯の百足屋旅館でJ・C・ベリー等と共に新島の最期を看取りました。

新島夫妻亡きあとの1934(昭和9)年、新島先生記念会の席で、不破ユウは、恩師を看病していた時に恩師から聞かされた思いもかけない言葉を紹介しています。

結婚というものは始めは人びとがおめでとうと八方からあびせかけるが、年月の過るうちには非常に大きな困難が起こってくるものだから、おめでとうどころのさわぎではない。なぜ、神がこんなに反対の性格の人間を夫婦にしたかと考えさせる程性格においても相反していることを後になって発見して悩むことがある、しかしこれも神が各々の性格を磨かしむるためになし給ふ御手のわざであるから益々相忍ばねばならない。

と、新島は病床にあって、結婚生活への思いを吐露したというのです。