もう一度観たいな レ・ミゼラブル

昨年末からロングラン445万人動員  映画「レ・ミゼラブル」が、大ヒットを記録中だ。 5月からは、新演出版による舞台の開幕も控えている。日本の観客の心をとらえる「レ・ミゼ」の魅力を探る。


 「遠くないいつの日か、この映画で描かれたような不幸な女性が、現実からいなくなることを祈っています」 2月24日、米ロサンゼルスで開かれたアカデミー賞の授賞式。序盤で、会場の映画関係者らに最も感銘を与えたのは、助演女優賞を受賞したアン・ハサウェイのスピーチだった。


髪を切ったファンテーヌ(アン・ハサウェイ)のクローズアップが、劇的効果を高める(映画「レ・ミゼラブル」より)
 ハサウェイが演じたのは、娼婦しょうふファンテーヌ。工場を解雇され、生活苦で身を落とし、胸を患った末、主人公ジャン・バルジャンに娘を託し、最期を迎える。悲劇のヒロインを熱演し、受賞の下馬評の高かったハサウェイが壇上から訴えたのは、貧困や差別に苦しむ人間の救済という、映画のテーマそのものだった。

 リーマン・ショック以降の経済不況で、閉塞感を感じているのは、日本人も同じ。演劇評論家の萩尾瞳は「『民衆の歌』が歌われるラストシーンは希望があふれ、未来を信じる気持ちにさせてくれるはず」と見る。

 東日本大震災以降、日本の映画興行界では「重すぎる映画はヒットしにくい」と言われ始めた。厳しい現実に直面し、わざわざ重苦しい作品を見に行かなくなったというわけだ。

 実際、今回の映画の宣伝では、「希望」が強調された。配給元の東宝東和の新井重人・宣伝担当取締役は「タイトルは直訳すれば『悲惨な人々』だが、そのイメージだと、どうしても取っつきにくさを与えてしまう。それより、激動の時代に翻弄されながら、懸命に生きた人の物語としてアピールしようと思った。閉塞感に対するアンチテーゼとして」と話す。


 狙いはずばり当たり、昨年12月21日の公開以来、ロングランを続け、3月10日までに445万人を動員、54億4300万円の興行収入を上げるヒットとなった。昨年の外国映画の興収1位が「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」の53億8000万円だったのだから、大ヒットといって間違いない。


 さらに、日本で公開されたミュージカル映画としても、歴代の記録を塗り替えた。これまで、2005年に公開された「オペラ座の怪人」の40億8400万円を最高に、「シカゴ」(33億1300万円、03年公開)、「マンマ・ミーア」(25億7000万円、09年公開)が続いていたが、「レ・ミゼ」はそれらを大きく引き離した。


 他のミュージカル映画になかった魅力は何か。萩尾は「人間描写の繊細さと、歌やドラマの力強さ」であり、それを可能にしたのが、「クローズアップの多用と歌の同時録音」という。トム・フーパー監督は、2時間38分の全編をほとんど歌で通した。しかも、録音された歌に口を合わせるのでなく、実際に俳優が音楽に合わせて歌うのを撮影した。その効果が最も発揮されたのが、ハサウェイが「夢やぶれて」を熱唱する場面。「顔がどんどん汚れ、くしゃくしゃになっていくのを見せるという、舞台ではできないことを実現し、しかも、俳優自ら生で歌うことが加わって」(萩尾)名場面になった。

 演劇の「レ・ミゼ」は日本でも、1987年の初演以来、大勢のファンの心をつかんできたが、映画のヒットは、舞台の観客だけでなく、「レ・ミゼ」に縁のなかった観客をも巻き込んだ結果だ。


 東宝東和によると、興収ランキングにこれまで12週間入り続け、前週比でプラスに転じた週もあったという。通常、公開後の興収は次第に減っていくが、「レ・ミゼ」は違った。新井取締役は「最初の頃は舞台を見た人が駆けつけたが、段々、口コミで評判を聞いた人が映画館に来るようになった」と分析、「映画を見て良かったと思った人が、今度は舞台を見たいと思うんじゃないですか」と言う。

 新たな「レ・ミゼ」ファンを、5月に始まる新演出版の舞台は、どう迎えるのだろう。(近藤孝)



レ・ミゼラブルと映画
 フランスロマン主義の作家、ビクトル・ユゴー(1802〜85年)の「レ・ミゼラブル」は、パンを盗んだ罪で、19年間服役したジャン・バルジャンの波乱万丈の生涯を描いた大河小説。ダイナミックな人間ドラマは時代を超えて、映画人を魅了し、世界中で何度も映画化されてきた。本国フランスで有名なのは、1957年の名優ジャン・ギャバンの主演作。95年のクロード・ルルーシュ監督、ジャン・ポール・ベルモンド主演作は舞台を現代に移し替えた感動作だった。日本映画でも、牛原虚彦内田吐夢伊藤大輔マキノ雅弘といった名匠が映画化に取り組んだ。特に有名なのは、伊丹万作監督の遺作でもある「巨人伝」(1938年)。舞台を西南戦争に移し、大河内伝次郎の熱演が話題になった。
(2013年3月22日 読売新聞)