ご冥福をお祈りします。

 昔、大学で映画研究部に在籍し、年間数百本の映画を観ていたころ、新藤監督の近代映画協会に入りたくて、監督作品常連の殿山泰司さんに手紙を書いたことがあります。殿山さんには丁寧なお断りの返事をもらった。

NHKより

 「原爆の子」や「裸の島」など社会派の多くの作品で国際的に活躍した映画監督で文化勲章受章者の新藤兼人さんが29日、老衰のため、東京都内の自宅で亡くなりました。
100歳でした。



 新藤さんは、広島県の出身で、脚本家を経て昭和25年に独立プロダクションの先駆けとなる「近代映画協会」を設立し、翌年、「愛妻物語」で監督としてデビューしました。



 広島の原爆の被害を描いて昭和28年にカンヌ国際映画祭に出品した「原爆の子」をはじめ、「第五福竜丸」や「さくら隊散る」など、社会派の作品を相次いで発表しました。
昭和36年にはセリフがない実験的な映画「裸の島」でモスクワ国際映画祭のグランプリを獲得するなど、国際的にも高い評価を得てきました。



 また、夫人で女優の乙羽信子さんの遺作となった「午後の遺言状」や「生きたい」などの作品で人間の老いを描き、内外で数々の映画賞を獲得しました。その後も現役最高齢の映画監督として活動を続け、平成9年に文化功労者、平成14年に文化勲章を受章しました。最近も、自身の軍隊の体験を基に、98歳で新作の「一枚のハガキ」の脚本を書くなど、意欲的に制作活動を続けていました。