スーちゃん さようなら

 突然の悲報は朝の新聞で知った。しばらくは信じられず茫然としていた。「スーちゃん」が亡くなった。本当のことだとテレビでも確認した。なぜ?乳がん? 全然知らなかった。 長い期間に病気と闘っていたなんて。 早すぎるあまりにも早すぎる。 いまはただご冥福をお祈りするだけです。


ディリースポーツより引用

3人組人気アイドル「キャンディーズ」の元メンバーでスーちゃんの愛称で親しまれた女優の田中好子さんが21日午後7時4分、がんによる多臓器不全のため東京都内の病院で亡くなった。55歳だった。田中さんは1992年に左胸に乳がんが見つかり、以後、闘病生活を余儀なくされた。昨年9月に急性腸炎、その後は十二指腸潰瘍も発症して入院。今年2月に再び体調が悪化。入院した。最期は夫でプロ ゴルファーの小達一雄(56)らにみとられ、静かに息を引き取った。通夜は24日、告別式は25日に都内の斎場で営まれる。

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 愛くるしい笑顔が人気だったスーちゃんが、天国に旅立った。

 夫でプロゴルファーで「夏目雅子ひまわり基金」の代表も務める小達が21日夜、しょうすいしきった様子で会見を開いた。それによると、田中さんの乳がんが発覚したのは結婚した翌年の1992年。人間ドックを受けた際だった。

 左の乳房に早期の乳がんが見つかり、手術で腫瘍(しゅよう)を切除した。その後も定期検診で何度かがんが発見されており、その都度手術して切除していたという。

 女優の仕事に愛着を持っていた田中さんは、がんとの闘いを続けながら女優の仕事をこなしていた。

 しかし、昨年10月に十二指腸潰瘍をわずらい、入院。治療のために絶食したことで体力が低下し、免疫力も低下。今年2月になってがんが急激に成長する「ラッシュ」という時期に入り、肺や肝臓など多臓器に転移した。懸命な治療にもかかわらず、21日の朝になって容体は急変。小達は「おはよう」と声をかけたが返事はなかった。午後7時4分、家族に見守られながら息を引き取った。

 田中さんは病床でも東日本大震災の被災者を気にかけるなど社会福祉に強い思いがあったという。小達にも「できることがあればやりたい」と伝えていたという。

 女優への思いも強く、復帰の意思を持ち続けていた。最後の仕事はフジテレビの「森のささやき」でのナレーション。3月7日に病院を一時抜けて仕事をこなした。小達は「最後まで切に望んでいたのは『女優を続けたい』ということでした」とかなわなかった思いに唇をかんでいた。

 田中さんはNHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールだった伊藤蘭藤村美樹と3人組アイドル「キャンディーズ」を結成。73年にデビューし、「年下の男の子」「春一番」「やさしい悪魔」などヒット曲を連発してスターダムに。しかし、1978年に解散。「普通の女の子に戻りたい」は流行語になった。

 その後は女優に転身。確かな演技力で評価を高めた。89年に主演した「黒い雨」はカンヌ国際映画祭に出品。同作で翌年の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した。01年にヒロインの母親役を演じたNHK朝の連続テレビ小説ちゅらさん」はシリーズ化される人気となった。

 私生活では91年に女優・故夏目雅子さんの兄の小達と結婚した。