琉球新報社説 菅内閣発足/対米追従からの転換を 「古い外交」と決別する時 2010年6月9日

 

 菅直人首相率いる新内閣が発足した。民主、国民新2党による連立内閣で、キーワードは「脱小沢」と「行政刷新」。菅氏が本格政権を目指す上で基本に据える2点を鮮明にした布陣と言え、政治への信頼を取り戻す出発点として期待したい。
 小沢一郎前幹事長の政治手法に象徴される「古い政治」に、国民は批判的だった。政治とカネの問題に終止符を打つことができれば政権浮揚につながるだろう。
 行政刷新もしかり。経済・財政・社会保障の立て直しが迫られる中で、税金の無駄遣いは許されない。脱官僚支配や政治主導を国民にどう実感させるか、各閣僚の力量が問われる。


抜け落ちた「沖縄」 
 もう1点。組閣のキーワードにはないが、大事な点を忘れてはならない。鳩山政権が失態を演じた外交・安保の問題だ。米軍普天間飛行場問題を米国の意向に沿った形で「決着」させた岡田克也外相と北沢俊美防衛相が再任された。
 沖縄側から見れば「沖縄切り捨て」に加担した形の2人を残した陣容は「日米で合意した辺野古移設案は撤回しない」との宣言にほかならず、新政権の沖縄施策に強い疑念を抱かざるを得ない。
 菅氏は1998年、党の定期大会で沖縄入りした際に基地問題で発言している。日米安保の重要性を説きつつも「海兵隊は沖縄に駐留する必要はない。装備だけ沖縄に置き、兵員はグアム、ハワイ、米本国など後方にあってもアジア安保の空白にはならない」と強調した。野党とはいえ、党代表としての公式見解だから重い。
 2001年の参院選では沖縄での応援演説で「海兵隊をなくし、訓練を米領域内に戻す」と主張。「日本は米国の51番目の州、小泉首相は米国の51人目の州知事になろうとしている」と批判した。
 幹事長だった菅氏の発言を受け、米国で講演した岡田氏(当時政調会長)は「沖縄での選挙戦が厳しく、勝ちたいとの気持ちが発言につながった」と解説してみせ、海兵隊撤退論を否定した。これに菅氏は「思いつきで言っているのではない。(海兵隊撤退の)流れができている」と反論した。
 03年には本紙インタビューに党代表としてこう答えている。「第3海兵遠征軍のかなりの部分を国内、国外問わず、沖縄から移転すべきだ。米国も兵力構成の考えが変わってきている。日本国内への移転より、ハワイなど米国領内への移転が考えやすい」
 さらに06年の沖縄知事選応援で「沖縄には基地をなくしていこうという長年の思いがある。普天間飛行場を含め、海兵隊をグアムなどの米国に移転するチャンスだ」と訴え掛けた。
 菅氏の一連の発言からは、沖縄駐留の米海兵隊撤退は可能であり、撤退先は米国内がベストとの基本姿勢が感じ取れる。戦後長きにわたり基地の重圧にあえいできた県民にとって希望の星を見る思いであり、心強い限りだった。


歴史に堪え得る政権か
 ところが昨年、政権交代を実現したころから菅氏は外交・安保に関する発言を控えるようになった。財務相などのポストに就き、沖縄問題は直接の担当ではないとの遠慮もあっただろうが、一国のリーダーに就いた以上、この問題を避けては通れまい。
 戦後日本の外交の在り方を痛烈に批判してきた菅氏である。古い政治との決別には、金権体質や利益誘導型政治の一掃に加え、対米追従外交からの大胆な転換が含まれているはずだ。
 首相就任会見では冒頭「政治の役割は人々が不幸になる要素を少なくしていく、最小不幸の社会をつくることだ」と述べ、貧困や戦争をなくす政治を誓った。その姿勢を貫けば、基地問題解決の道筋もおのずと見えてこよう。
 薬害エイズ問題では厚相として謝罪し、名を上げた菅氏でもある。一国のリーダーにふさわしい使命感と胆力、覚悟を持ち合わせていると信じたい。
 鳩山政権退陣の理由は、民意を踏まえた決断をできなかったことに尽きる。その反省に立ち、菅首相が「脱軍事優先」「在沖海兵隊撤退」を決断すれば、歴史の審判に堪え得る内閣となろう。
 強いリーダーシップで国民生活に直結する政策はもとより、外交・安保分野でも国際社会から手本とされる新時代のビジョンを示し、実行してもらいたい。