マスコミの暴走について


2010年4月1日 毎日新聞夕刊 熱血!与良政談 『「小沢氏報道」の消耗戦』 与良正男論説委員)より

 この1年、ずっと考えている話から書く。小沢一郎民主党幹事長の「政治とカネ」の問題をきっかけに、あまりにも極端な報道が当たり前のようになってしまったなあという話だ。
 典型は週刊誌。年が明け、事件の捜査が大詰めだったころ、小沢氏批判で鳴る週刊現代2月6日号は表紙にでかでか「特捜部は追い詰めた 小沢はつかまる」と載せ、一方、東京地検特捜部の捜査に異議を唱えてきた「週刊朝日」1月29日号の表紙にはこれまた大きく「検察の狂気」とあった。す、すごい。もちろんメディアは多様な方がいい。とりわけ特捜部批判を新間がタブー視してきたのは事実で、「週刊朝日」がいち早くメスを入れたのは評価する。でも、私にはここまで書けない。実際、その後、小沢氏は逮捕されなかったし、狂気という言葉を平気で使うのもためらう。なぜ、そんなに過激さを競うのだろう。活字不況、つまり売れないのが大きな理由ではないか。かつて週刊誌1誌で100万部も売れていた時代は夢の夢。万人を納得させるより、敵か味方か、自黒はっきりさせて、数は減ってもそれを好んで買ってくれる読者に的を絞る方が何とか商売が成り立つかもしれない。で、エスカレートする。

 ところが、である。あのころ民主党議員が「週刊朝日」を随分とありがたがったように、誰しも自分を擁護してくれる記事を好み、都合のいい情報ばかりがインプットされるものだ。特捜部もしかり。結果、民主党も特捜部も反省が薄れて今に至っていないか。政治権力と捜査権力。双方が強大な力を持っていることを忘れちゃいけない。
 権力の行使は抑制的でなくてはならないというのが戦後憲法、民主主義の柱。その暴走を防ぐのが私たちの仕事なのに、一方に加担した結果、暴走を助長したと言ってもいい。既に月刊誌はリベラル系が次々と休刊し、保守系誌が限られたパイの中で主張の過激さを競い合っている様相だ。保守系の先駆誌だった文芸春秋発行の「諸君!」が休刊となったのは部数が伸びない事情だけでなく、そんな過激競争にはついて行けないと判断したからだとも聞いた。行き着く先は多様性ではなくメディアの消耗戦。ますます、それに向かっているように思える。

 ふう。初回から、けんかを売ってしまった。当然、「では、あなたたち新聞は、そんなエラそうに言えるのか」と突っ込まれるだろうから、それは次回以降に。