検察を批判することと 報道の自由は まるで別なこと

 「検察」がいつからオールマイティになったのだろう? そんなことがゆるされるなら、戦前の日本に逆戻りである。検察や警察が勝手に逮捕できるなら、これに抵抗するのが立法府であろう。現職の国会議員を政治資金規正法の罰則で逮捕するほうが「異常」であろう。なら、自民党の二階議員はなぜ逮捕されないのか? マスコミはこの件では、検察のリークがないものだから、まるで報道にならない。

 さて、リークについて、マスコミが反論しただろうか? 否である。問題をすり替えて、報道に制限を及ぼすだとか 委縮するとか 報道の自由を守れの大合唱。 それで逮捕された側の意見や主張は 無視である。 報道は過熱すると 一方的に「悪」をつくり そちらに流れを導き出す傾向がある。
裁判の判決もないのに もはやマスコミは「人民裁判」か「宗教裁判」である。 疑わしきは罰せず は日本では通用しないのだろうか?