政権選択の衆院選 選ぶのは私たちだ

 週刊ポスト 2009年8月21・28合併号より。

橋下徹大阪府知事東国原英夫・宮崎県知事の『発信力』が大きな要因となって、今や「地方分権」というキーワードは、将来の「この国のかたち」を語る上で、誰も文句のいえない″錦の御旗″に祭り上げられている。なにしろ来る総選挙でも、全国の知事や市町村長が自分たちの掲げる「地方分権論」を盾に、支持政党を決めるとまで言い出した。だが、「今の地方分権論は、非常に危うい」――そう警鐘を鳴らすのは、前鳥取県知事で、現在は慶応大学教授の片山善博氏である。


私から見ると、現在、盛んに叫ばれている「地方分権論」は、「住民置き去り論」にしか映りません。確かに、関西空港にかかる国直轄事業の負担金について、支払いを拒否した橋下徹大阪府知事の突破力は、評価されていい。ただ、現在の″地方分権ブーム″は、やはり東国原英夫・宮崎県知事によるところが大きいのではないか。その東国原さんをはじめ、全国ほとんどの知事たちは、実は…まったく住民のほうを向いていない。例えば7月15日の「全国知事会」で合意された、国への提言の内容は、驚くベきものです。それには、「地方消費税の引き上げ」、「地方交付税の復元・強化」、などが盛り込まれています。分かりやすくいえば、「消費税を上げて、もつと県にカネを寄こせ」という主張です。そんなことを望む住民がどれだけいるのか。ほとんどの住民が自治体に対して望んでいるのは、「もっと財政をスリム化してよ」とか、「無駄遺いをやめろ」ということでしょう。「もっと負担を多くしてもいいから、どんどんハコモノや道路を作ってくれ」と思っているのは、公共事業で食っている地元の建設業者や、補助金で潤う天下り法人の職員たちだけです。

 
 私は、住民無視の議論が席巻している今の「地方分権ブーム」は、″エセ分権論″だと考えています。東国原さんなどはその『エセ分権論者』の代表格といっていい。東国原さんは、「総裁候補にしろ」といって話題になった自民党との衆院選出馬交渉の中で、先ほど述べた「地方消費税の引き上げ」「地方交付税の増額」といった全国知事会の提言をマニフエストに入れろ、と迫っていた。さらに、道路特定財源であるガソリン税引き下げ騒動の時も、「宮崎は高速道路が足りな、い。道路財源をなくしたら作れん。宮崎の道路はどげんかせんといかん!」とかなんとかいって、強硬に反対していました。道路を作るために、ガソリン税を無駄に多く払うことに納得できる住民がどれだけいるのか。これは東国原さんに限った話ではなく、果たして、全国のどれだけの知事が、住民と正対しているか、甚だ疑間というほかない。全国知事会は、総選挙にあたって各党のマニフエストを採点するとしていますが、住民の皆さんは、あまり参考にしないほうがいい。なぜならその採点は、「どの政党になったらオレたち知事に都合がいいのか」を評価するだけの通信簿であり、「住民にとって望ましいのはどちらの政策か」という観点からの評価ではない。

 
 全国知事会のいいなりに「地方分権」が進めばどうなるか。議会からも住民からもまるでチエツクを受けないまま、国から奪い取ったカネと権力に驕る『腐った首長』ばかりを増殖させてしまうことになる。では、どうすればいいのでしょうか。本当に必要なのは「住民から始まる地方分権」です。例えば、大きなハコモノ建設やダムのよヽうな大型公共事業が本当に必要なのか、それらのために地方債を発行(借金)すべきか、否かなど、政策実施によって住民に負担が生じる場合には、事前に住民投票をする仕組みを作ればいい。要するに「住民が自分の責任で判断していく」という習慣をつけなければいけません。政策決定の過程を、「住民が自治体にコントロールされる」ままにしていては真の地方分権ではない。住民たちが草の根レベルで、自分たちの住む街にとって必要な政策課題とは何かを明らかにし、それを解決してくれる政治家、政党を選んでいくという下から上ヘの方向性を確立することこそ重要なのです。その意味で、総選挙に向けた民主党の政策集に、〈住民投票を地域の意思決定に積極的に取り入れるため、「住民投漂法」を制定する〉と記されている点は画期的であり、評価しています。そして、そこにある「真の地方分権」の芽がきちんと花聞くのか、住民自身も自治に対する意識を新たにし、監視していかなければなりません。