最初は国威発揚の道具 ナチスが創造した「聖火リレー」

 

北京五輪聖火リレーは4月16日、パキスタンイスラマバードを皮切りに「アジア区間」が始まった。17日にリレーが通過するインドのデリーではチベット族が中国大使館前で警官隊ともみ合いになり、50人以上が連行された。リレーは5月初めの中国上陸までバンコク、クアラルンプール、ジャカルタ、長野、ソウルなど各都市を回る。

 各地ではチベット族や人権団体の抗議行動に備えてルート短縮や警備強化が相次いでいる。パキスタン五輪委員会は一般道でのリレーを取りやめ、首都中心部のジンナー競技場内を周回する方式に変更した。

フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より

 1936年のベルリンオリンピックでは、ドイツのスポーツ当局者でスポーツ科学者のカール・ディウムが、聖火リレーを思いついた。3,000人以上のランナーが聖火をオリンピアからベルリンまで運んだ。ドイツの陸上選手だったフリッツ・シルゲンが最終聖火ランナーで、競技場で聖火をともした。聖火リレーもまた、オリンピックの一部となった。