すこしずつ判明する自衛隊の嘘とごまかし

 
 清徳丸親子の一刻も早い発見をお祈り致します。

 今回の事故で、海上自衛隊イージス艦は、現場海域を自動による操だで進んでいて、衝突発生の1分前に漁船を回避しようと手動に切り換えたことがわかっています。これについて石破防衛大臣は「いくら海がなぎの状態とはいえ、いくつかの船が見えているような海域で、太平洋のど真ん中と同じように、かじを自動にしていたのは適切ではなかったと、一般論としては思う」と述べ、イージス艦の行動に問題があったという認識を示しました。また、石破大臣は、イージス艦が漁船を回避するため、後ろに進ませる措置をとった際、かじを切らなかったことを明らかにしたうえで「それが正しい措置であったか何が適切であったかは、海上保安庁の捜査に委ねたい」と述べました。 NHKニュース  2月22日 12時42分

 海上自衛隊イージス艦「あたご」と新勝浦市漁協(千葉県勝浦市)所属の漁船「清徳丸」が衝突した事故で、あたごの見張り員が事故12分前に清徳丸のものと見られる灯火を視認した後、衝突するまで完全に見失っていた疑いがあることが、防衛省などの調べでわかった。

  同省は、見張り員が事故2分前に右方向に緑色の光を視認し、その後、接近して衝突したと説明していたが、見張り員は調べに対し、「衝突前に左舷の赤い灯火は見なかった」と証言していることも判明。緑色の光は別の船のものだった可能性が強まった。

  これまでの調べでは、あたごの見張り員は19日午前3時55分に漁船2隻を視認。うち1隻が清徳丸と見られ、船体左側にある赤い灯火と中央上部にある白いマスト灯を確認した。その後、事故2分前になって1隻があたごの前を横切り、ほぼ同時に右方向に緑色の光を視認。その緑色の光が事故1分前に動き出したため、あたごが急制動をかけたが、4時7分に衝突したと説明していた。

  漁船は、海上衝突予防法で、右舷に緑、左舷に赤の灯火の設置が義務付けられている。見張り員が午前4時5分、右方向に見た緑色の光は右舷にある灯火だと見られる。その船は左から右に移動していたはずで、緑色灯が清徳丸のものだとすればどこかでUターンに近い針路変更をしたことになり不自然だ。しかも、衝突前には、あたごから清徳丸の左舷の赤色の灯火が見えていなければならない。

  ところが、見張り員は海自の調べに対し、「事故2分前から衝突までの間、清徳丸が右からあたごの進行方向に向かっていることを示す左舷の赤い灯火は一度も視認していなかった」などと説明したという。

  このため、海自では、緑色の光は清徳丸とは別の漁船のもので、清徳丸の針路については、最初に視認して以降、完全に見失った可能性が高いと判断。衝突直前にかけた急制動に関しては、清徳丸とは別の漁船が接近していたと認識したため、とっさにかけたとの見方を強めている。

  清徳丸の後方を航行していた金平丸(きんぺいまる)の市原義次船長(54)は21日の記者会見で、当時の位置関係から、「(あたご側は)自分の船の青(緑)灯が見えた可能性がある」と指摘していた。

  海自の事故調査委員会は、さらに詳しい証言を得るため、海上保安庁の捜査と並行し、見張り員らから事情を聞く方針。

(2008年2月22日03時10分 読売新聞)

 海上自衛隊イージス艦「あたご」との衝突事故の直前まで、清徳丸と一緒にいた漁船の乗組員らが21日に開いた記者会見で、清徳丸が「あたご」の直撃を受けるまでの経緯が次第に明らかになってきた。

 清徳丸は、他の2隻と三角形をつくるような形で、ほぼ南進していた。金平(きんぺい)丸と康栄(やすえい)丸が「底辺」となり、清徳丸がその「頂点」にあたる位置を進んでいた。金平丸の市原義次船長は「清徳丸の白い船尾灯が左前の方角に見えた」。

 同じころ、その約3.6キロ先では、同じ漁場に向かっていた幸運丸が、東京湾方面に直進するあたごとの衝突を回避するために右にかじを切った。午前3時半ごろに幸運丸はレーダーであたごをとらえていた。レーダーの範囲は半径約10キロ。乗っていた堀川宣明さんは「ちゃんと見てたならもっと前から分かるはずだ」と訴える。

 三角形を形作っていた清徳丸など3隻は、緑色の灯火の見える前方の大型船がイージス艦とは気づかないまま進んだ。大型船の約3キロ以内にまで接近した金平丸も危険を感じ、いったん右にかじを切った。しかし大型船に、右へかじを切って対向する船との衝突を避けようとする気配がないと感じ、金平丸は今度は左に大きく転回して針路から逃れたという。

 金平丸が直進を続けていた康栄丸と再び並んだころ、あたごが停船。船体に明かりがついた。
 「船、止まったよ」 「お前が前走って止めちゃったんじゃないの」
 金平丸と康栄丸は、無線で、そんな会話を交わした。このときには、清徳丸とあたごが衝突していたとみられるが、2隻は事故にはまったく気づかなかったという。

 あたごの後方に出たところで、不審に思った康栄丸の中ノ谷義敬船長はライトで照らして、初めて海自艦であることを確認した。 「こりゃ軍艦だよ」
 2隻はそのまま南へ進んだ。中ノ谷船長は「まさか、清徳丸が事故に遭ったとは思いもしなかった」という。

アサヒ・コム 2008年02月22日01時55分



 海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故をめぐり、防衛省と事故当時、現場海域にいた3船長の主張に食い違いが目立っている。大きな食い違いは4点だ。船長側の会見を受け、防衛省増田好平次官は21日午後、「当初話したことを変える状況ではない」と現段階で再調査の考えがないことを明らかにした。一方で「(船長らから)話を聞く場は出てくる可能性はある」との含みも残した。

 ▼危険察知

 「恐らくそういうことはなかったのでは」。事故当日の19日、防衛省は警戒行動としてサーチライトなどを照らした可能性を否定したが、船長側は「イージス艦が灯りを点滅させた」と反論。点滅は午前3時35分ごろだったという。
 防衛省は、あたごが衝突した清徳丸のものとみられる灯火を確認したのは3時55分で、漁船接近の危険性を把握した「起点」とみる。ただ、35分の点滅が危険を知らせるパッシングとすれば、20分も早く危険を察知していたことになる。
 防衛省は「レーダーがどうだったか分からない」と繰り返しているが、船長側は「(レーダーで)20〜30分前に確認できたはず」と疑問を呈する。あたごより性能の低い幸運丸のレーダーでさえ、3時半の時点であたごを探知しているのを根拠にしている。

 ▼事故直前

 事故直前のあたごによる監視結果にも、船長側は納得しない。防衛省は「清徳丸のものとみられる緑灯を確認した」とするが、「清徳丸の赤灯しか見えない」と真っ向から対立する。
 清徳丸は左舷に赤、右舷には緑の灯を設置。あたごの艦首に衝突したのは清徳丸の左側面だったため、常識的には、見張り員が緑灯だけを視認したという防衛省の主張は釈然としない。緑灯だけなら、清徳丸の事故直前に衝突回避のため、左にかじを切った金平丸の方が見えやすい。
 防衛省の発表では、衝突12分前から見張り員が確認した漁船は清徳丸と僚船1隻だけだが、船長側によると、付近にいた僚船は3隻。事故原因を究明するうえでも、あたごと船団の位置関係の特定はカギになる。 サンケイ2008.2.21 23:59

 イージス艦「あたご」は、衝突する12分前には漁船清徳丸の存在を把握していた。防衛省が20日夕に明らかにした事実に、行方不明の父子の安否を気づかい続けている漁業仲間が怒りと不信感を募らせた。前日の「2分前に把握した」とする説明と大きく異なる内容。それだけ時間があったら事故は避けられたはず――。専門家も最新鋭艦の対応を批判する。

 ●専門家「回避できたはず」

 「12分前に気づけばいろいろ衝突回避措置を取れたはずだ。警笛で知らせることも、針路を変えることもできただろう。漫然と過ごし、気づいたら衝突直前だったというのが実態ではないか」。海難事故に詳しい神戸大大学院の大塚裕史教授(刑法)は話す。
 当時イージス艦は10ノット(時速約19キロ)、漁船の船団は約15ノット(同約28キロ)で航行していたとされ、12分前には衝突地点までそれぞれ数キロ離れていた可能性が高い。
 防衛省の説明によると、あたごは漁船を視認後も自動操舵(そうだ)を続けた。午前4時5分ごろ、あたごの見張り員が右方向に緑色の灯火を確認。1分後、灯火の速度が上がって漁船だと確認し、ようやく後進に切り替え、手動操舵にした。衝突が起きたのはその1分後だ。

 ●なぜ自動操舵に

  自動操舵について、河野克俊・海上幕僚監部防衛部長は報道陣に、「通常、大海原で針路を変えることもなく安全だと判断する時に使う」と説明。今回の手動への切り替え時期の妥当性を問われると「現時点では評価できない」。
 だが、「自動にしていることが考えられない」と、首をひねる防衛省幹部もいる。
 海難審判に立ち会う海事補佐人を務める松井孝之弁護士も自動操舵を続けたことを疑問視する。「相手船と『見合い関係』になる2カイリ(約3.7キロ)に接近するまで法的には自由に航行できるが、船団そのものとの遭遇を避けるため、早めの減速、回避など取れる対応は多い」と指摘する。

 過去の海難審判で、衝突の危険が迫った段階で船長が操舵室にいないだけで責任を問われたことがあるといい、「イージス艦側の対応は厳しく追及されるべきだ」。

 ●当直態勢は

 午前4時は通常当直の交代時間。午前3時55分と、次の午前4時5分に灯火を視認したのは「同じ見張り員だった」と防衛省側は説明し、当直士官以下の当直乗組員が一斉に4時に変わることはない、としている。
 だが、日本財団山田吉彦広報チームリーダーは「交代時間だったのが影響しなかったのか。見張り要員が最初に視認した情報が当直士官らにどう報告、判断されたのか、組織全体の連携を含め解明すべきだ」と話す。

 ●漁師仲間、怒り・疑問

 12分前には灯火に気づいていたとの情報に、地元漁協の関係者は怒りを新たにした。
 長一丸の渡辺秀人船長(37)は当日、現場海域で、約1.2キロ離れてイージス艦の前を横切った。「小さい船の方が視界が悪い。イージス艦は高性能なんだから、早く動いて絶対に回避すべきだった。やりきれない」と憤った。
 事故にあった清徳丸と一緒に漁場に向かっていた幸運丸の堀川宣明さん(51)も「もし漁船に気づいたなら、自船の航行の方向を知らせるためにライトを点滅させたり、船全体の作業灯をつけて位置を知らせたりするべきだ。フェリーなど一般の大型船は普段からそうした対応を取っている」と訴える。「いずれにしても自衛隊の動きは遅い」
 新勝浦市漁協の外記(げき)栄太郎組合長(79)は「12分も前に気づいていたのに、どうしてぶつかったのか。海保の調べで全容が分かることを期待したい」と語った。

アサヒ・コム 2008年02月21日00時47分

 千葉・房総半島沖でイージス艦「あたご」が2月19日早朝、マグロはえ縄漁船清徳丸に衝突した事故で、防衛省が明らかにしている情報と、清徳丸の僚船の関係者らによる証言の間には食い違いもみられる。海上で何が起きたのか。未解明の点が残されている中、発生から丸1日たった海域では行方不明の親子の捜索が行われた。

 ■メーカー「映るはずだ」

 高性能を誇るイージス艦の水上レーダーに、漁船の群れは映っていなかったのか。
 事故をめぐる最大の疑問点について、防衛省は、事故から20時間あまりたった19日深夜の会見でも「レーダーに清徳丸が映っていたか否か。また仮に映っていた場合に、乗組員が認識していたかどうか。現時点では不明である」と歯切れが悪かった。
 ただ、「あたご」の対水上レーダーは、最長で約20キロまで見通せる。当時は海も穏やかで、船影が波に隠されていた可能性は少ない。
 会見ではさらに、衝突2分前に目視で確認した「緑色の灯火」についても「漁船とは分からない状況だった。浮いているブイの可能性もある」と述べた。
 こうした場合は、見張り員とレーダー員が相互に情報交換するのが常識だ。が、その連絡が行われたのかと問われると「現時点では分からない」。

 こうした発言に、清徳丸と一緒に漁に出た船長らは強く反発する。
 「我々のレーダーには(仲間の船が)映ってるんだ。海自艦のレーダーには、確実にこっちが映るはずだ」と康栄丸の中ノ谷義敬船長は言う。
 船がレーダーにはっきりと映るように、02年7月建造以降の小型漁船には「レーダーリフレクター」と呼ばれる装置の装着が義務づけられた。93年完成の清徳丸はその義務がなく、05年11月に行われた同船の定期検査でも、装着の記録はないが、漁協関係者によると、全長12メートルの清徳丸ならレーダーに映るはずという。ある船舶レーダーメーカーも「基本的には繊維強化プラスチック(FRP)製でも木造でも映る」という。

 ■僚船「出港時は全点灯」

 「衝突の2分前、右前方に『緑の灯』が見えた」。あたごの乗組員は、防衛省の聞き取り調査に対してこう答えたという。同省は、19日深夜の記者会見で「『赤い灯』に関する情報は入っていない」とも説明した。
 海上衝突予防法では、船舶の左舷に赤灯を、右舷に緑灯を設置することを義務づけている。赤灯は船首から左に112度、緑灯は船首から右に112度の範囲からしか見えず、どちらの色の灯火が見えるか、灯火がどの方向に動いているかによって、自船と相手船の位置関係を目視で把握できる。
 防衛省の説明通り、2分前に緑灯が見えたとすれば、10ノットで北上するあたごの北東側数百〜千数百メートル先を、清徳丸が船首をおおむね南ないし東の範囲に向けて走っていたことになる。

 しかし、清徳丸の僚船は、南西ないし南南西に船首を向けて走っていた。康栄丸の中ノ谷船長は「清徳丸が港を出るときは、電灯は全部ついていた。おれは海自艦の緑灯を見たから、海自艦は清徳丸の赤灯を見ているはずだ」と、疑問を呈した。05年11月の清徳丸に対する検査でも灯火の装備は確認されている。
 日本海難防止協会の増田正司・企画国際部長は「もし防衛省の説明通りならば、清徳丸はあたごとすれ違う方向に進んでおり、そもそも衝突の恐れがほとんどなく、イージス艦、清徳丸双方に回避義務が生じない、ということになる」と言う。
 防衛省は「緑の灯」について、「現段階では右舷灯だったかどうかはわからない」「緑色の光が動き出したので漁船とわかった」と説明している。

アサヒ・コム 2008年02月20日17時31分

千葉県房総半島沖で2月19日早朝、海上自衛隊イージス艦「あたご」(艦長・舩渡(ふなと)健1等海佐、基準排水量7750トン)と、新勝浦市漁協(千葉県勝浦市)所属の漁船「清徳丸」(全長約12メートル、7・3トン)が衝突した事故で、あたごの乗員が衝突のわずか約2分前まで、清徳丸の灯火に気付かず、その後、回避のため急制動をかけるまで約1分かかっていたことが明らかになった。
 海上保安庁は、あたごが、清徳丸を見落としたことで回避行動が遅れ、衝突につながった可能性があるとみて調べる。

 石破防衛相自民党国防部会で行った説明によると、あたごの見張り員は、衝突2分前の午前4時5分ごろ、別の漁船が前方を横切った際、進行方向右側に緑色の灯火があるのを目視で確認した。この灯火は清徳丸のもので、約1分後にスピードを上げて、あたごの航路に向けて動き出した。このため、あたごは前進を止めようと急制動をかけ、清徳丸も、あたごの前方約100メートル先で大きく右にかじを切ったが、1分後に衝突したという。

  防衛省幹部によると、あたごが急制動をかける直前の速度は10ノット(時速18キロ)だった。事故当時、あたごは通常の宿直体制で、艦橋には見張り員も含め隊員が10人ほどいた。

 あたごは19日午後5時すぎ、海自横須賀基地(神奈川県横須賀市)に入港。艦首右側に清徳丸のものと見られる白い塗料が付着し、数本の細い傷が斜めに走っているのが確認された。艦首左側には目立った傷跡は見られなかった。

 あたごには、海上衝突予防法に基づく回避義務があった可能性が高く、通常は警笛を鳴らしながら回避行動を取るが、清徳丸とともに周辺海域を航行していた7隻の僚船の乗組員らは、そうした音を聞いていなかった。

 19日夕、記者会見した僚船の金平丸の市原義次船長(55)は「午前4時ちょっと過ぎ、前方からイージス艦が向かってきて、自分は回避しようとかじを右に切った。かじを切った瞬間、イージス艦の明かりがパッとついた。自分たちの船に驚いてつけたのかと思った」と話した。

 清徳丸の船主で勝浦市川津の吉清(きちせい)治夫さん(58)と長男の哲大(てつひろ)さん(23)親子は依然行方不明で、捜索に当たっていた新勝浦市漁協所属の漁船が、事故海域でジャンパーを発見。治夫さんのものと家族が確認した。

 海自は同夜、事故の衝撃で真っ二つに割れた清徳丸の船体を引き揚げ、千葉県館山市方向へえい航を始めた。20日にも清徳丸の関係者らに見せた後、横須賀基地に運んで調べる。

(2008年2月20日03時09分 読売新聞)

今回の事故では、あたごの艦橋にいた乗組員の「緑色の灯火を視認した」という証言に関心が集まっている。
 海上衝突予防法は、日没から日の出までの運航の間は船の右舷に緑色、左舷には赤色の灯火点灯を義務付けている。右舷(緑)灯は船首方向から船体右後方まで112度、左舷(赤)灯は船首方向から左後方に同じ112度の範囲で視認できる。視認範囲を限ることで、灯火がどのように見えるかによって船の進路が判断できる。

 清徳丸クラスの船舶ではほかに、マスト灯(白色)、船尾灯(白色)の点灯も義務付けられている。出港時に目撃した僚船の船長は「四つとも正常に点灯していた」と証言している。

 海自の説明では、乗組員は緑灯のみを視認している。清徳丸が衝突直前に「あたごの前方約100メートルで大きく右にかじを切った」という証言があり、進路を変えたことであたごから赤灯が視認できた可能性があるが、赤灯は目撃されていないという。【山田泰正】毎日新聞 2008年2月20日 1時42分 (最終更新時間 2月20日 9時12分)

今回の衝突の原因として、イージス艦「あたご」側の目視が不十分だった「人為的ミス」の可能性を指摘する声が強まっている。

 1988年の海上自衛隊潜水艦「なだしお」衝突事故で、沈没した大型遊漁船「第1富士丸」側の代理人を務めた田川俊一弁護士は、「航行優先権は清徳丸にあり、事故の主原因は漁船に気付くのが遅れたイージス艦側と考えられる」と話す。

 そのうえで「小型船はレーダーや目視で確認しにくいが、現場は港に近く多くの漁船がいると予測できる。通常より厳重な宿直体制を敷くべきだった」と批判。「海自側の衝突回避が不十分だった点で、なだしお事故と同じ。教訓が生かされていない」と憤った。

 また、神戸大大学院海事科学研究科の臼井英夫准教授(海上交通工学)も「衝突2分前、清徳丸に点灯していた緑の光を確認したと防衛省側は主張しているが、なぜイージス艦側がこんなに近づくまで気づかなかったのか。もっと周囲の見張りをしっかりすべきだった。漁船を確認後、後進をかけるのではなく、右にかじを切っていれば、船体が二つに割れるような事態は避けられたかもしれない」と話している。

毎日新聞 2008年2月19日 22時26分 


吉川栄治・海上幕僚長は2月19日午後1時からの会見で、イージス艦「あたご」が衝突前に漁船「清徳丸」に気づき、「回避動作を取っていた」と述べた。また、左右や後方を確認するため艦橋に約10人の乗組員を配置し艦橋前部の水上レーダーは正常に作動していたと説明した。

 主な一問一答は次の通り。
 −−「あたご」は衝突まで気づかなかったのか。

 回避動作を取ったと聞いているが、どのようにどの時点かは捜査に委ねたい。
 −−漁船の明かりで気づいたのか。

 何によって認識したのかは捜査のポイント。漁業のライトなのか、航海灯なのか、捜査の過程で明らかになると思う。
 −−海上衝突予防法は相手が右舷側に見える船が回避することになっている。あたごはどちらにいたのか。

 どのような状況で視認し衝突したかは、捜査に委ねたい。

 −−右と左のどちらに回避したか。

 細部は捜査に委ねたい。
 −−監視体制は。
 通常と同じ。
 −−レーダーは正常に作動していたか。
 はい。
 −−レーダーで漁船を把握していたか。
 レーダーは調整や行き会う船の状況などで「ゴースト」が映ることもある。今回は視界も悪くなく、海面状況も平穏なので、通常のレーダーの能力はあっただろう。

 −−レーダーに映るのは確実では。

 漁船は非常に小さい目標で、どうなるかはその時の状況による。

 −−連絡体制の問題点は。

 私に報告が来たのは5時ごろ。発生から1時間かかっている。内局を経て報告する体制だが、一報体制について検証したい。

 −−大臣に情報が上がるまで1時間半はかかり過ぎでは。

 検証しながら改善していきたい。

 −−「なだしお」事故から20年。教訓は生かされているか。

 年度当初に船を全部集め、安全講習や実技訓練をずっと実施してきている。効果があるのか、再発防止策とあわせてよく検証したい。

毎日新聞 2008年2月19日 19時06分

吉川栄治・海上幕僚長は午後1時から記者会見し、「イージス艦は漁船の存在に気付き、回避動作を取ったと聞いている。しかし、どの時点でどのように取ったかは調査中」と述べた。

毎日新聞 2008年2月19日 13時39分

今回の事故は、高性能のイージス艦の意外な盲点を浮き彫りにした。専門家らは、人為的ミスの可能性や小型船に弱いその把握力を指摘している。

 軍事評論家の岡部いさくさんは「イージス艦は多数の飛行機やミサイルを同時に捕捉することが可能で空中への警戒能力は高いが、水上の船舶への見張り能力は他の護衛艦と大差ない。イージス艦は目視での警戒も行っていたはずだが、夜明け前で発見が遅れた可能性もある。何らかのヒューマンエラーが起きたと考えられる」と話している。

 また、軍事ジャーナリストの神浦元彰さんは「波のうねりの影響で、漁船のような小型船はレーダーでとらえにくいことがある。レーダーは金属に反応しやすく、漁船のような強化プラスチック素材は探知しにくい」と漁船の補足の難しさを指摘。その上で「漁船の航海灯は星などの光と異なり、10キロ離れていても見張りが目で確認できるはず。相手が小型漁船であれば、間近で発見してもすぐにかじを切ってよけることは可能。垂直にぶつかったとすれば、見張りの怠慢が原因としか考えられない」と注意不足が原因との見方を示した。

毎日新聞 2008年2月19日 13時04分