天満天神繁昌亭 福団治・正蔵二人会(手話落語30周年記念)

 初めて繁昌亭に行ってきました。→http://www.hanjotei.jp/

平成20年2月8日午後6時半開演、最初に、林家正蔵さんと桂福団治さんがトーク
続いて、笑福亭松之助師匠の長男明石家のんきさんの「始末の極意(しわい屋)」http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo33.htm

桂福車さん が「強情灸」http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug328.htm

九代目林家正蔵師匠が「ねずみ」(下段参照)
上方落語(では備前岡山が舞台) →http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug363.htm を熱演しました。

桂朝太郎さんがマジック。

大トリの四代目桂福団治師匠が手話落語で「蜆売り」http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug137.htm


ねずみ」 

 大工で有名な人物といえば、左甚五郎利勝と相場が決まっているもので、この人は、飛騨山添の出で、12歳の時に弟子入りして、20歳で京に上り、「竹の水仙」を作りました。その後、江戸日本橋橘町の大工政五郎の家に居候して、「三井の大黒」や日光東照宮陽明門を作りました。

 甚五郎は、元々旅好きな人で、この「ねずみ」は彼が奥州への旅の途中に立ち寄った仙台でのことです。

 そのころ仙台には、虎屋という大きな旅籠があったのですが、その前に鼠屋という小さな旅籠がありました。元々、この鼠屋の主人は、虎屋の主人だったのですが、事故で体が不自由になってから、番頭に店を乗っ取られ、追い出されてしまったという不幸な人でした。体が不自由な父親と12歳の息子二人だけで働いているわけですから、お世辞にも鼠屋は繁盛しているとは言えません。障子は破れ、畳はボロボロ、客用の布団は質屋にとられているといった始末です。

 その鼠屋に甚五郎が泊まりました。

 事情を聞いた甚五郎は主人のために、鼠を作り、それを飾っておくように言います。

 さすがに甚五郎が作った鼠。今にも動き出すんじゃないかと思えるほどのできばえ、いや本当に動いているよ、なんて噂がたち、甚五郎の鼠見たさに、客が増え、たいそうな繁盛ぶり。それに引き替え、前の虎屋は、しだいに客が一人減り、二人減りとどんどん減っていき、しまいには誰も泊まらなくなりました。

 怒った虎屋の主人は、伊達様お抱えの彫刻師、飯田丹下に頼み込んで虎の置物を作ってもらい、それを虎屋の二階に置きました。すると、それまでちょろちょろと動いていた鼠がぴたりと動かなくなった。

 困った鼠屋の主人は、甚五郎に相談します。甚五郎の目から見て、虎屋の虎は、確かに立派なものですが、出来がいいとは思えません。一体、なんだって動かなくなったんだ、あんな虎が恐いのかと鼠に問いかけると、

「え? あれ、虎ですかい? あっしは猫だと思った」