小泉さんの功罪

5年は長いか短いか小泉さんは政権を維持しそして9月に去っていく。政治を単純化したところが「功」なら、言葉だけで中身のなかった改革が「罪」かもしれない。

小泉首相 長期政権の三つのカギ 非情、抵抗勢力切り捨て  
 「自民党をぶっ壊す」。挑発的な言葉とともに発足し、26日で丸5年を迎える小泉純一郎政権は、政府・与党の実質権力が首相に集中する本格政権となった。首相の特徴は三つ。躊躇(ちゅうちょ)なく抵抗勢力を切り捨てる非情さ。衆院解散など勝負をかけては成功する強運。そして、批判に動ぜず民間出身の竹中平蔵総務相(現参院議員)を登用し続ける独特の人事だ。これらを駆使し、時に北朝鮮訪問など「サプライズ」を絡ませながら長期政権を維持してきた。【鬼木浩文、尾村洋介】
 「自民党の面々は総理の顔をうかがってばかりいる」。先週、教育基本法改正案など後半国会で扱う法案協議に出席した公明党幹部は、自民党の煮え切れなさをなじった。その公明党も、首相の靖国神社参拝に反発しても反旗は翻せない。与党内には「小泉独裁」の雰囲気が長らく漂う。
 ここまで首相が力を得たのは昨年の郵政政局がきっかけだった。政局に火がついた4月、首相は与党幹部との会合で「世話になった人も応援してくれなかったら必要ない。権力者とはそういうものだ」と言い放ち、その通り振る舞い続けた。
 法案が参院で否決されると、ただちに衆院を解散。綿貫民輔衆院議長や亀井静香自民党政調会長ら「造反組」を党から放逐し、追い討ちをかけるように「刺客」候補をぶつけた。解散前、森喜朗前首相に語ったとされるのが「殺されてもいい」「おれは非情だ」のセリフ。結局、この姿勢が受け、自民党は大勝した。
 これだけではない。03年の衆院選前には中曽根康弘宮沢喜一両元首相を引退に追い込み、02年1月には当時の田中真紀子外相を更迭。田中氏とのやり取りは「更迭ですか」「そうだ」だけだった。
 「権力闘争に徹しきれる人物。とてもかなわない」。小沢一郎民主党代表の首相評だ。

 ◇強運…サプライスと敵失

 「私には徳も才能もないが、運は強かった」。首相は14日、ラジオに出て自らの長期政権を「運」に結びつけた。
 その典型が02年9月の北朝鮮訪問だ。反対論を押し切って訪朝し、史上初の日朝首脳会談で拉致への謝罪を引き出すと、40%台に落ち込んでいた支持率は一気に67%に上昇。04年にも再訪朝し計13人の被害者と家族を日本に連れ戻した。失敗すれば政権の命取りになりかねない賭けだった。
 一方、今年に入り「改革の影」がクローズアップされると起きたのが民主党の偽メール問題。変わり始めた潮目を押しとどめ、強気の首相に戻った。ただし、今月23日の衆院千葉7区補選では、「小沢効果」を得た民主党に手痛い惜敗を喫するなど、強運にも陰りが見える。となれば、首相は次にどんな一手を打つのか。与党内からは「サプライズへの警戒が必要だ」との声も聞こえてくる。

 ◇重用…経済運営の司令塔に竹中氏

 小泉人事の最大の特徴は、経済運営の司令塔として竹中平蔵氏を重用し続けたことだ。人事は事前に漏らさず、派閥の意向も無視する小泉流を貫いた。
 経済財政担当相に抜てきされた竹中氏は、族議員との関係の薄さを武器に、経済財政諮問会議を仕切る。奥田碩トヨタ自動車会長ら4人の民間メンバーが大胆な政策を提案すると首相が支持を表明し、議論の流れを作る手法も確立した。
 02年からは金融担当相を兼務し、「金融再生プログラム」を策定して不良債権の抜本処理を断行。04年の参院選で当選すると、首相は「改革の本丸」と位置づける郵政民営化の担当相も兼務させるなど、重用の度を増した。ワンフレーズの首相を竹中氏の説明能力が補ったとも言え、「竹中がいなければ小泉改革は空中分解していた」(外資系証券)との見方も出ている。
 ただ、総務相に転じた昨年10月以降、竹中氏は諮問会議と金融相という二つの活躍の場を失い、孤立する場面も見え始めた。首相が今後、竹中氏をどう扱うかも政権末期の注目点だ。
毎日新聞) - 4月26日