6月22日
「木走日記さん」6月20日エントリー→戦艦大和の最後までつまらない論争になるこの国のメディアの憂うべき検証能力
参考リンク→「松岡正剛の千冊千夜」 第九百六十一夜【0961】04年4月6日 吉田満 『戦艦大和ノ最期』
1978 北洋社 1994 講談社文芸文庫
◎松岡氏の評伝より少し長いですが引用します。
本書(戦艦大和ノ最期)はしばしば文学作品の列に加えられてきた。
執筆は敗戦直後なのだが(吉田は1日でこれを書き切ったと述懐した)、GHQの検閲コードに妨げられて昭和24年に口語体にさせられた初版が刊行され(『軍艦大和』銀座出版社)、本来の原稿のままに出版されたのは昭和27年になった(創元社)。
執筆の動機について、吉田は昭和27年版の「あとがき」に次のように書いている。
「敗戦という空白によって社会生活の出発を奪われた私自身の、反省と潜心のために、戦争のもたらした最も生々しい体験を、ありのままに刻みつけてみることにあった」。
この「刻みつける」という方法に、のちに文学作品としてのかなり高い評価が与えられた。昨夜に案内した大岡昇平の『野火』『レイテ戦記』と同様に。
しかし、その一方で、吉田も書いているように、「これが戦争肯定の文学であり、軍国精神鼓吹の小説であるとの批判が、かなり強く行われた」。吉田にインタヴューするジャーナリストなど、一人もいなかった。さきほど紹介した日下・三野の一冊 (1998年には日下公人と三野正洋が『「大和」とは何か』(WAC出版)で、大和に象徴される巨艦主義の問題をめぐっていた。) では、吉田満は単なるインテリ学生で、大和では何らの仕事もせず、ただ驚きのあまりに観察していただけだという批判も加えられていた。
けれども、次の吉田の言葉には、この作品に浴びせられた非難の数々をしばし沈黙させるものを秘めていた。この作品に私は、戦いの中の自分の姿をそのままに描こうとした。ともかくも第一線の兵科士官であった私が、この程度の血気に燃えていたからといって、別に不思議はない。我々にとって、戦陣の生活、出撃の体験は、この世の限りのものだったのである。若者が、最期の人生に、何とか生甲斐を見出そうと苦しみ、そこに何ものかを肯定しようとあがくことこそ、むしろ自然ではなかろうか。
敗戦によって覚醒した筈の我々は、十分自己批判をしなければならないが、それ程忽ちに我々は賢くなったであろうか。我々が戦ったということはどういうことなのか、我々が敗れたというのはどういうことだったのかを、真実の深さまで悟り得ているか。
(中略)
本書の“最期”は次のようになっている。
徳之島ノ北西二百浬ノ洋上
「大和」轟沈シテ巨体四裂ス
水深四百三十米 今ナオ埋没スル三千ノ骸
彼ラ終焉ノ胸中ハタシテ如何
われわれの胸中も、また如何。
- 作者: 吉田満,鶴見俊輔
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