ブログの数珠つながり(他人のフンドシで読者獲得しよう作戦)

◎自分で自分の作文能力がないことをあらためて半年ブログをやってみて感じた。ネットで「ブログ」漂流すると、まさに名文のオンパレード(これは一部ホメ殺し)で、というよりアルファーブロガーの所へお邪魔するからいけないのかも知れない。そうだね、米国でいうなら1Aの選手がメジャーリーガーの華麗な技を見ているみたいなものだもの。
 そこで、絶対に美文・名文をかけない僕は、「小判鮫」のように有名ブログのおこぼれを頂戴して自分も、この巨大なブログの深海から陽光のさす水面に浮かびあがろうと画策する情けないがなりふり構わず作戦を遂行することにしたが。
 とはいえ誰かさんみたいに、あたりかまわずトラバを打ち込む勇気もない。なにかないかなと、ブログの海に潜航(それも浅いところ)してたら、超有名な「R30::マーケティング社会時評」さんのエントリーをは〜〜っけん 私は生きてます宣言としばらく更新停止のお知らせ R30さんは公私にわたり忙しくらしくて

 「ネット世間ではブログが終わっただの匿名野郎は市ねだのとメタ論議がかまびすしいが、どっちも今さら議論に乗る気にもなれず華麗にスルー。どっちも過去記事に僕の考えは書いたし、なんつーか超どうでもいい。」

と少しなげやりのご様子で 

「というわけで周辺事態がしばらく落ち着くまでブログ更新を停止させていただきます。更新を楽しみにされているごくごく一部のマニアな方には申し訳ありませんがはっきり言いましょう。あなたはマニアです(笑)。というわけで6月中旬までごきげんよう。」

とマニアの僕にサヨナラを言われたのです。(おめ〜えじゃない)しばらく寂しいですがお戻りになるのをお待ちしております。

このエントリーに対して、「小林Scrap Book Heartlogic」さん がトラバをしたのがこちら 2005年5月28日 ブログ初心者の皆さんは覚えておくといい 最近ブログ界を揺るがす(うそ)2題論争の『ブログは終焉した』『実名・匿名』にも関連させて

ブロガーの皆がワイワイやっている話題について「それは終わってる」、「前に書いたし」、「どうでもいい」で片付けてしまうという論法で。これを「切り捨て芸」と名づけたい。

こんな技を僕もいつか使ってやる。(遠くをみつめながらボソット)

 こうやってバッサリやることで、自分のファンの皆さんが急激に意気消沈し、そのネタがしぼむという効果がある。また、その話題の参加者全員を切り捨てられる強力な全体攻撃技となる。ただし影響力のない人がやっても単に自分からハブんちょになるだけなので、1日のpvが1万以下の人はやらない方がいい。

ごもっともなご意見です。1日200も超えられないブログには「夢」のような話です。電凸でもしようかな。
 小林Scrap Book さんのこのエントリーで

何度も繰り返し語られるネタについては同じくR30氏がこのようなことを書いている。

とリンクさせたR30さんの過去ログがこれ→2004年12月19日 トートロジーに熱くなる ちなみに「トートロジー」はトイレのTOTO(トートー)とは全然ちがって同語反復という意味らしい。但し、「ふき出しののレトリック」さん のエントリー (勝手に引用した)トートロジーの引用になるのですが、

 トートロジーは、まったく同じ言葉を、まったく同じ意味でくり返すレトリックです。それでいて、なおかつ意味をなす表現法です。同じ言葉が続けて登場することになるので、読者に強いインパクトを与えることができます。また、くり返されることによってその言葉の真意を伝える効果もあります。この「トートロジー」は、「同語反復」「同義循環」とも呼ばれます。
 このレトリックの呼び方について、『レトリックの意味論―意味の弾性―(講談社学術文庫 1228)』(佐藤信夫講談社)には、次のようなことが書いてあります。
「同語反復」という呼び方をすると、どちらかと言えばただ語句を重ねる――「そこのけそこのけ御馬が通る」――のような典型的な同語の反復とまぎらわしいからという取るに足らぬ理由で、《同語反復》という訳語はさけておきたい。とのことです。

と言葉の乱用を戒める指摘もあるんだ。(これもひとつの意見)

 「トートロジーに熱くなる」の冒頭で下記のように

最近気に入ってよく読んでいる現代思想内田樹教授のブログのエントリ「困った人たち」を読んで、爆笑した。

 要するに内田教授はトートロジー(同語反復)の話をしているんだけれども、教授の言うとおり、世の中の文系の人っていうのは、自分の論じている内容のトートロジーに意外なほど鈍感だよね。という自分も文系なんだが。正直、これは学生に限らないな、と最近思う。

 内田教授がトートロジーの例として挙げているのは、院生の書いたジェンダー論だが、これって最近議論の熱かったジャーナリズム論についても言える。だいたいマスコミの中の人やそれに絡む人たちもみんな文系ばっかりだから、どいつもこいつも定義をすっぽかして印象論であーだこーだ言うばかり。

文系は情感で物事を処理しようとして、論理性がないらしい。道理で理系の方は原爆や水爆を発明できるんだ。と納得した。ということで、やっと「内田樹の研究室」さんの 2004年12月18日 困った人たちにつながった。(あ〜ヨカッタ)

 セクシュアリティとかジェンダーとかいうものを正面から論じるのはたいへんに難しい。いつも申し上げていることであるが、たとえば「ジェンダー・フリー論」ということを言う人は「ジェンダー」のことばかり言っている。「ジェンダー間に社会的な区別をしてはならない」という議論をしている方にむかって、「そうかなあ」というような反論をさしはさむとただちに「あなたは男だからわかんないよの!」という言い方をされる。まず自分がジェンダー的に何者であるかどうかを言明しないと、ジェンダーフリーについては語らせて頂けないのである。あの、それって、ジェンダーボーダーを解放するんじゃなくて、ジェンダーボーダーむしろ強化してません?

勝手に引用したが引用した本人が意味よくわからないw。雰囲気で察してください。
 そうして再び、R30さんに戻り、恋愛論など「命題定義のしにくい問題というのは、往々にして議論が混線する」として、

 だがしかしいったい誰がトートロジーを述べているに過ぎなくて、いったい誰が議論を前に進めたのかといった検証が、すぐにできないのが難点だよな。2ちゃんねるだと、1つのスレの中に論と反論を述べる奴らがあふれる一方、意味の分かりづらいレスを意訳する奴、それを樹形図にまとめて整理する奴などがどんどん現れて論点が明確になるんだけど。ブログはなまじ長ったらしい文章を書き込めるから、そこらへんが難しい。

 論点整理とか状況俯瞰を専門にするブログというのも、ちょこちょこと出てきてはいるが、やはり今のブログの仕組みだと、ネット上のあちこちにあるエントリをすべて読もうと思えば、ブログからブログへトラックバックを1つ1つ追いかけなければならない。しかもトラックバック打たずにリンクだけしているエントリは、第三者からは追い切れない。2ちゃんねるのスレだけを読み通して整理する「まとめサイト」に比べて、ブログ上の論争をまとめる作業は相当荷が重い。

ようやく僕的なオチがついて、上に書かれている分野は(スキマ産業的だ)狙えるかもと思って、ちょっと予行演習的的なタイトルにある「他人のフンドシで読者獲得しよう作戦」をマルゴウニイハチイチサンゴウマルに敢行しました。(報告終わり)。敬礼。

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