泥の河でも魚が棲む

◎ 朝、健康診断をしてきました。それで一応絶食状態のまま職場についてからPC前で簡単に朝食をしながらブログを点検しました。「若隠居の徒然日記」さんから昨日の僕のTBに対してTBをいただきました。そのエントリーが水清くして 魚棲まず  かなり逆説的なタイトルですw。

◎さて、「匿名・実名論争」がかなり盛んになってきています。僕の立場・意見は→昨日に述べたとおりで、一昨日は→こちら。「若隠居の徒然日記」さん、「It is anything」さんの意見に賛同しています。今週はこの論争に次々と各ブログが意見を表明していますので紹介したいと思います。(これくらい理路整然と記述してみたい=日々勉強です)

□「札幌から ニュースの現場で考えること」全文=「匿名か実名か」について

一つは、どんな形式であれ、個人の意見表明等には、匿名を選択する自由は完全に保障されるべきだ、ということだ。通常のホームページであれ、ブログであれ、或いは現実社会においての選挙の投票であれ、新聞社等への意見であれ、行政官庁への意見であれ、ビラ配布であれ、すべて同じだと思う。残念ながら、この社会では実名で何がしかの意見を表明した場合、例えば職場や地域等で不当な扱いを受けることが現在も間々ある。実際にそういうことが起きなくても、「実名で言ってしまって、上司にバレたら怒られるかな」くらいのことは、どこにでも転がっている。その機微は、第三者には本来計れないものだろうと思う。
だから、私は、たとえ名乗らぬ人が何かを意見したとしても、「匿名だからアカン」とは思わない。「匿名だからダメ」「実名だから良い」というのは、問題の立て方が違うのだと思う。「匿名」と「ダメ」は常に相関関係にあるわけではない。(中略)
 で、もう一つ。おそらく、ネット上で意見等を表明する場合、それが信頼に足りうるかどうかは「氏名」としての「実名」ではなく、当人の属性ではないか。「山田太郎」「スズキイチロー」「山田花子」といった氏名よりも、「30歳、エンジニア、東京都」「27歳、JRの電車運転士、四国」「35歳、花卉農家、北海道」といった属性の方が(もちろん、もっと詳しい属性であっても良い)、はるかに大事なような気がする。もちろん、これは現実社会でも似たようなものかもしれない。例えば、何か原子力技術のことが話題になっているとき、人は農家よりは原子力技術者の話に耳を傾ける。花の作柄については、原子力技術者よりも花卉農家だ。
 ただし、自らが「取材者」として、ネットを一次情報の発信の場に使う場合は、間違いなく、実名ブログの方が良い。山岡俊介さんの「ストレイドッグ」などは、その好例ではないかと思う。

□「音楽堂茶室さん」のエントリー 「匿名実名」論争にケリをつける現実解
◎そうですね、いかにブログを発展(違うものに変化する可能性もある)していく論争になればいいですね。

つまり、個人情報をどこまで公開するか決定するのは、あくまで「自分」だということだ。だからこそ「人それぞれ」なのである。人それぞれ、「匿名」にしても「実名」にしてもメリットデメリットがある。誰もがメリットとデメリットを計りにかけて自ら結論を出しているに過ぎない。これは他人が決定する事ではない。(中略)この問題を本当に解決しようとするならば、目指すべきゴールはどちらかの排斥ではなく「匿名主義」と「実名主義」が等しく尊重され共存する事だ。

□「マーケットの馬車さん」 匿名の重み・実名の重み(2) 実名を要請する本末転倒