何故「反英」はないのか?日本は何故嫌われるのか?

Grip Blog(泉あい)さんの中国人に問う「あなたは反日ですか?」 【取材記6回目】 より。

Q.香港の人たちは、イギリスに対して反日感情と同じような反発する気持ちを持っていないの?A.ええ、持ってない。
Q.日本とイギリスの何が違うの?A.え〜っとねぇ・・・(考えて)わからない。日本人とイギリス人を比べると、香港はイギリス人のお陰で今のように発展した。日本人の方は、戦争の時に空爆でいろいろ壊しているから、ショックがあると思う。香港もされたことがあるけど、香港だけじゃなくて、東南アジアのベトナムやミャンマ−とか、いろいろなところまで、中国と同じ反日感情を持っている。昔、戦争中に東南アジアへ逃げた中国人がたくさんいるから。シンガポ−ルも結構中国人が多い。なぜ日本人に反日感情を持っているかというと、昔戦争で家がなくなったから、あちこちの周辺の国へ逃げたから。=続く

◎この中国の方の意見だけで全体をはかることは出来ませんが、多分ですが160年前だから記憶がないのは当然であり、歴史教育にもあまり記載がないか?、その主体が満州族だったから?、このあたりはなんともいえないですね。でも、普段、中国の方がどういう風に日本および日本人をみているのか多くの泉あいさんの適確な質問に対する答えが興味深いしすごく参考になります。(ただ、やはり中国人中心主義の香りがしますね)

 僕たちは学校の世界史で(決して歴史教育でない)「アヘン戦争」を下記の通り学びます。但し、この場合の中国は「清国」で少数の満州族が大多数の漢族を支配するという打倒される前の「イラク」を更に民族%(比率)を拡大したもの。英国は「大英帝国」で当時は世界第1位の超大国(いまのアメリカ)でした。この戦争を契機に、中国は列強大国から不当な干渉と侵略を受けていく。つまり、中国にとって最悪の国は「英国」であるのですが。この清を打倒するのが中華民国で、中華民国を打倒するのが中華人民共和国です。

1839年 (清の)道光帝が林則徐を欽差大臣に任命し、広州に派遣→取締りを開始。アヘンを没収・焼却,対イギリス貿易を中止,中国人のアヘン密輸貿易者を処罰。
1840年 イギリス議会が対清宣戦を決定,艦隊をおくる。厦門・寧波・上海等を占領し南京に迫る。
1842年 清が屈服(敗北)※戦争中に広州の農民が平英団を組織し反英闘争を開始,その後の民衆運動の大きな影響となる。

≪結果:不平等条約の締結≫…清の半植民地化の開始 (1)南京条約[1842締結,対イギリスとの講和条約]・清は5港を開港(広州・上海・福州・厦門・寧波)・香港の割譲・公行(外国貿易を支配していた商人ギルド)の廃止・多額の賠償金

「清」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清(しん、英Qing Dynasty)は、清朝(しんちょう)ともいい、1616年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝。首都は北京。満州族の愛新覚羅氏(アイシン・ギョロ氏)が立てた王朝で、満州語でダイチン・グルン(daicing gurun, 大清国)といい、中国語では大清帝国と号した。 =続き