人がいつか死ぬのは わかるけど 国家の暴力では 死にたくない。


 糸井重里さんの『ほぼ日ー今日のダーリンー』に触発される。  

 例えば、ぼくが、冗談めかして
 「おれが死んだらさぁ」とは言えるし、聞いてもらえる。
 しかし、冗談のふりをせずに、
 「おれが死んだら」という話をしようと思っても、
 なんとなく、話をうやむやにされてしまうことが多い。
 

 つまり、「縁起でもない」ということだし、
 「あんたの死を望んでないのだから、話したくない」
 という話の流れになってしまいやすいのだ。
 それはそうなんだけど、必ず人は死ぬんだから、
 「死なないかのように」生き続けるというのは、
 かなり不自然なことなんじゃないかと思うのだ。
 

 「死ぬってさぁ‥‥」と、多少なりとも、
 じぶんなりに考えることをしてほしいし、
 必ずやってくる「死」について、
 誕生を祝ったりするときのように話しあってみたい。

 ほんと いつかは皆死ぬのだろうけど アメリカや中国や北朝鮮のために 死にたくはないし まして 自分の国の 軍隊には 殺されたくない。