華原朋美復帰 解雇から5年半 古巣事務所が再度専属契約
2012年11月24日 紙面から
 歌手の華原朋美(38)が、約5年半ぶりに芸能界復帰する。古巣の芸能事務所「プロダクション尾木」が23日、発表した。私生活の乱れや度重なる契約不履行のため、同事務所は2007年6月に解雇したが、ボランティア活動などを通じて猛省し、芸能界復帰に向けて努力を重ねた華原を評価して再度専属契約を結んだ。華原は12月5日放送のフジテレビ系「FNS歌謡祭」(午後7時)に生出演し、復帰を飾る。
 「私には歌うことしか出来ません。今までお世話になった全ての方々に恩返しのつもりで精一杯頑張るつもりです。最後のチャンスだとも思っています」。華原はマスコミ各社に向けた直筆メッセージで不退転の決意をにじませた。
 純粋で傷つきやすい性格の華原は恋愛や仕事の悩みがあると睡眠薬精神安定剤などを大量に摂取してしまう傾向があった。奇行や仕事のドタキャンなどが続いた07年、所属事務所の尾木徹社長は「これ以上芸能活動を支えることができなくなった」とし、断腸の思いで華原を解雇した。
 しばらく、どん底の生活が続いたが、まずは人間としての再起再生を目指し、兄が経営する介護施設の手伝いを始めた。2010年には、実父が暮らすフィリピンに渡り、難病の子どもたちと触れ合った。昨年11月に帰国後も、介護施設で入居者の世話をし、歌を歌ったりしていた。
 「それらの活動を通じて、世の中で苦しみ悩んでいる人たちのお役に立てないかと思うようになり、その思いを尾木社長にぶつけたところ、お許しを頂くことが出来ました」
 華原はフィリピンから1通、帰国後に2通、尾木社長に手紙をしたためた。志半ばで去った芸能界に戻りたい。歌声を誰かのために役立てたい。その熱い思いに胸を打たれた同社長は今年9月に華原と対面。話し合いを重ね、ラストチャンスを与えた。
 すでにボイストレーニングや体作りを始めており、関係者は「復帰が生放送なので本人は緊張すると思いますが、声が本当に良く出ています」と話した。復帰に際し、薬物依存も克服したという。
 新曲の発売予定などは決まっていないが、かつて「I’m proud」などでミリオンセールスを達成した歌姫が再び輝きを取り戻せるか注目だ。
◆薬物依存による奇行を繰り返す
 華原は98年に音楽プロデューサー小室哲哉との交際が破局後、約5カ月休業。99年5月に「プロダクション尾木」に移籍し、心機一転再スタートを切った。しかし、「100%の自分を取り戻すことができない」として、2000年に再度休養してカナダへ留学した。
 01年に帰国し、バラエティー番組やミュージカルに出演するなど芸能活動に復帰する。06年に「ユーミンソング・ミュージカル ガールフレンズ」に出演中、急性気管支炎と急性声帯炎を患って途中降板。その後、再び心身の状態が不安定となり、07年1月から4月まで仕事を休んだ。
 同年6月、華原は所属事務所から解雇された。尾木徹社長は「精神が不安定な状態になり、睡眠薬などの薬物への依存による奇行が続いた。違法薬物ではないが、飲む量が尋常じゃなかった。睡眠薬をお菓子のように食べていた」と説明した。
 解雇直前には、レギュラー出演していたテレビ番組「新堂本兄弟」のリハーサルや、ラジオ番組出演のドタキャン。東京・西麻布の路上で倒れて病院に搬送されたり、路上で奇行を繰り返して警察ざたになったこともたびたびあった。
 ◆華原朋美(かはら・ともみ) 1974(昭和49)年8月17日生まれ、千葉県出身。本名は下河原朋美。「遠峯ありさ」などの芸名でタレント活動をしていたが、95年に「華原朋美」に改名。交際相手の小室哲哉プロデュースのシングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。96年に「I BELIEVE」「I’m proud」などがミリオンヒット。初アルバム「LOVE BRACE」は200万枚を超えた。