小沢氏 無罪とマスメディア

 1番まともなのが やはり東京新聞社説 です。

『小沢元代表無罪 許せぬ検察の市民誤導』 東京新聞社説 2012年4月27日

 政治資金規正法違反に問われた民主党元代表小沢一郎被告は無罪だった。元秘書らとの共謀を示す調書などが排斥されたからだ。市民による検察審査会の判断を誤らせた検察の捜査こそ問題だ。


 「事実に反する内容の捜査報告書を作成した上で、検察審査会に送付することがあってはならない」と裁判長は述べた。

 小沢元代表の裁判は、新しい検察審制度に基づき、市民による起訴議決を経て、強制起訴されたものだった。

 つまり、市民が判断の中核としたとみられる検察側の書類そのものが虚偽だった点を、裁判所が糾弾したわけだ。

 問題の報告書は元秘書の石川知裕衆院議員が小沢氏の関与を認めた理由の部分だ。「検事から『親分を守るためにうそをつけば選挙民を裏切ることになる』と言われたのが効いた」と石川議員は述べたという。だが、実際にはそのようなやりとりがないことが、録音記録で明らかになった。

 検察が虚偽の文書を用いて、市民を誤導したと指弾されてもやむを得まい。石川議員の供述調書も、検事の違法な威迫、誘導があり、裁判で証拠採用されなかった。取り調べ過程の全面録画(可視化)の議論は加速しよう。

 そもそも、巨額なカネはゼネコンから小沢元代表側へと渡ったという見立てで、捜査は始まった。上司から「特捜部と小沢の全面戦争だ」とハッパをかけられたという元検事の証言も法廷で出た。今回の判決でも「検事は見立てに沿う供述を得ることに力を注いでいた」と厳しく批判された。予断となった特捜検察の手法をあらためて見直さざるを得まい。

 検察審の在り方も論議を呼びそうだ。検察の大きな裁量を見直し、市民に事実上の起訴権限が与えられた新制度は評価できる。その特徴は黒白を法廷決着させたい意思だろう。一方で、強制起訴の乱用を懸念する声もある。

 今回の裁判でも、弁護側は「検察が意図的に検察審に誤った判断をさせた」と主張していた。これは検察審の悪用であり、事実なら言語道断である。市民の議論をサポートする弁護士を複数制にしたり、容疑者に弁明機会を与えるなど、改善点を模索したい。

 小沢元代表は法廷で「関心は天下国家の話。収支報告書を見たことすらない」とも語った。政治資金制度の根幹部分を改正することも急務といえよう。

 東京新聞の対極が 読売新聞社説 ですね。
 有罪にならなかったのが余程 腹立たしいのでしょう。
 しかし、現代の裁判は 証拠が1番で しかも無罪は 罪がないということで 
 灰色などという表現は つかうべきではありません。

小沢氏無罪 復権の前にやることがある(4月27日付・読売社説)

 ◆「秘書任せ」の強弁は許されない

 結論はシロだが、「潔白」ではなく「灰色」という司法判断だろう。

 資金管理団体陸山会の土地取引を巡り、元秘書と共謀し政治資金収支報告書にウソの記載をしたとして政治資金規正法違反で強制起訴された民主党小沢一郎元代表に、東京地裁が無罪を言い渡した。

 土地購入原資の4億円の不記載などについて、判決は「小沢氏は元秘書から報告を受け、了承していた」と認定した。検察官役の指定弁護士が「共謀が成立する」と主張したことには「相応の根拠がある」とまで述べている。

 ただし、こうした会計処理を違法であると小沢氏が認識していたことを示す立証は不十分だとして、最終的に共謀は認めなかった。有罪か無罪か、まさに紙一重の差だったことがうかがえる。

 判決は、秘書だった石川知裕衆院議員らがメディアからの批判を恐れ、小沢氏提供の4億円を意図的に隠蔽した、と指摘した。

 石川議員ら元秘書3人に対しては、1審・東京地裁が昨年9月、有罪判決を言い渡している。

 刑事責任は認定されなかったが、小沢氏に元秘書への監督責任があるのは当然だ。政治家としての道義的責任も免れない。

 ◆「消費税」へ影響避けよ 

 民主党の輿石幹事長は、小沢氏の党員資格停止処分を解除する手続きを取る考えを表明した。処分期間は「判決確定まで」とされている。処分解除には党常任幹事会の適切な手続きが求められる。

 懸念されるのは、野田首相が「政治生命を懸ける」と明言する消費税率引き上げ問題への影響だ。

 小沢氏は、増税について「その前にやるべきことがある」などと反対している。今後、野田政権を一段と揺さぶる構えで、首相は厳しい政権運営を迫られよう。

 党内には、小沢氏を要職に起用する案もあるが、疑問だ。「政局至上主義」的な小沢氏の影響力拡大は、消費税問題を混乱させるだけで、良い結果を生むまい。

 そもそも消費税問題は、昨年の党代表選や関連法案了承などで決着済みのはずだ。それなのに、党内の慎重・反対論が収まらず、足並みが乱れ続けている。

 そのため、政権党への国民の不信が増幅していることを、小沢氏らは認識する必要がある。

 ◆国会で説明責任果たせ

 野党は一斉に、小沢氏が国会で政治とカネの問題に関して説明することを要求している。

 小沢氏は一時、衆院政治倫理審査会への出席を表明したが、「予算審議を促進するなら」との身勝手な条件や「三権分立」を持ち出し、説明責任から逃げている。まず国会での説明が欠かせない。

 裁判では、政治資金の公開制度を軽んじる小沢氏の政治姿勢も、改めて浮き彫りになった。

 政治資金収支報告書は国民が政治資金の流れを把握するための重要な資料だ。にもかかわらず、小沢氏は報告書の作成を「秘書任せ」にしてきたと繰り返した。

 判決は、「収支報告書を一度も見たことがない」とする小沢氏の供述を「信用できない」と断じ、政治資金規正法の精神に反していると指弾している。

 小沢氏のような「秘書任せ」の主張がまかり通るのは、虚偽記入などの法的責任が政治家でなく、政治団体の会計責任者にあるためだ。連座制の強化など、規正法の改正を検討すべきだ。

  ◆検察は捜査の猛省を

 この裁判では、検察の捜査の問題点があぶり出された。

 石川議員らの捜査段階の供述調書は、供述の誘導など取り調べの違法性や不当性を理由に、その大半が証拠採用されなかった。

 判決も、「見立てに沿った供述の獲得に担当検事が力を注いでいた」と、「調書偏重」の検察捜査の在り方を厳しく批判した。

 元厚生労働省局長が無罪となった大阪の郵便不正事件でも見られた悪弊だ。検察は猛省し、捜査の適正化を図らねばならない。

 石川議員に関する虚偽の捜査報告書が作成され、検察審査会に提出されていたことも発覚した。

 「審査会の判断を誤らせるようなことは決して許されない」との判決の指摘は当然だ。検察は、虚偽報告書が作成された意図や経緯を調べ、責任を追及すべきだ。

 今回は、一般市民で構成される検察審査会の議決に基づく強制起訴事件としても注目された。

 民主党内には検察審査会制度の見直しを求める声がある。だが、小沢氏の規正法軽視が明らかになるなど、裁判が開かれた意義は小さくない。安易な見直し論に走るべきではなかろう。

(2012年4月27日01時43分 読売新聞)

 小沢氏に政局は避けよ と主張する傍らで 消費税増税問題という政局を絡ませる 矛盾。
 さらに 暗に「有罪」を主張してきた大新聞・大テレビには 反省するという姿勢はみじんもない。
 最初から犯罪者(期日をずらしただけで有罪なら 前原氏をはじめ外国人から献金を受け取っていた政治家は
 すべて国家を揺るがす大犯罪者だ)視することで、数々の冤罪を助長してきた反省はどこにもない。


続いて 毎日新聞の社説

社説:小沢元代表無罪 なお政治的責任は重い

毎日新聞 2012年04月27日 02時30分


 刑事責任を問えないまでも政治家としての責任を厳しく問う判決だった。民主党小沢一郎元代表に対し、東京地裁で無罪が言い渡された。資金管理団体陸山会」の土地購入をめぐり、元代表提供の4億円が政治資金収支報告書に記載されず、元秘書との共謀が問われた事件だ。地裁は、元秘書らによる報告書への虚偽記載があったと認定した。「法と証拠」に基づいて判断する刑事裁判の結論を受け止めたうえで、その内容をしっかり見極めたい。

 ◇検察の失態も強く批判

 元秘書の衆院議員、石川知裕被告は4億円提供と同時期、なぜわざわざ同額の銀行融資を受けたのか。

 判決は、目的について「提供を受けた4億円の簿外処理のため」としたうえで「元代表の個人資産から提供された事実が対外的に明らかになると取材などで追及され、元代表が政治的に不利益を被る可能性を避けるためだった」と動機を指摘した。

 4億円を記載しないことについて元代表への「報告・了承」があったのかについては「秘書らは自ら判断できるはずはない」と指摘し、元代表の了承を認定した。

 判決は、共謀の成立の検討について「相応の根拠がある」とも指摘した。だが、4億円の記載時期の先送りが虚偽記載になることを元代表が認識していなかった可能性などを指摘し、無罪の結論を導いた。
注目したいのは、判決が元代表に対して厳しい目を向けていることだ。元代表は法廷で、「報告・了承」があったことを全面的に否認した。だが、判決はこうした主張の核心部分を否定した。

 元代表の法廷発言に変遷があるとして、信頼性にも疑問を投げかけた。4億円の融資書類にサインした経緯を述べた法廷発言は「不自然」とし、「報告書は一度も見ていない」との発言についても、およそ信用できないとした。

 元代表は、政治資金の処理について「一切、秘書の自主判断でやってもらっていた」と法廷で発言した。秘書任せにしたことで、虚偽記載に至る具体的な事情が耳に入ることがなく、かえって刑事責任を問われずに済んだ。判決はそういった事情も書きこんだ。

 だが、秘書らを監督する政治家としての責任は別だ。石川被告ら元秘書3人は昨年、東京地裁で有罪判決を受け、控訴している。今回、判決が再度、元秘書らによる報告書の虚偽記載を認定した事実は重い。元代表の道義的責任は一層、強まったといえる。

 元代表は裁判を理由に国会での説明を回避してきた。指定弁護士が控訴すれば裁判は高裁に舞台を移す。だが、1審判決を機に説明責任を果たすよう改めて求めたい。

 判決は、「報告・了承」など、元代表の虚偽記載への関与を一定程度認定した。4億円の出所の説明も法廷でさらに一部が変遷した。反論があれば堂々とすべきだ。
国会の責任も問われる。政治資金規正法は、原則として会計責任者に責任を負わせ、公選法のような連座制の規定がない。議員が虚偽記載を了承していても罰せられないような法律でいいのか。悪質なケースは、議員の公民権停止も含めた法改正を検討すべきだ。

 ◇もう権力闘争はやめよ

 検察審査会による強制起訴の妥当性も争点の一つになった。判決が、検察官の虚偽の捜査報告書作成について「あってはならない」と強く批判したのは当然だ。元秘書の供述調書の大半が「組織的に違法な取り調べが行われた」として証拠採用されなかったことを含め、検察は猛省すべきだ。

 審査会による強制起訴の制度については、その是非を判断するのは早い。ただし、審査員の会見実施を含めて審査過程の情報公開については、議論を進めてもらいたい。

 民主党輿石東幹事長は無罪判決の一報が伝えられた直後に、元代表に対する党員資格停止処分の解除に向けた手続きを始める意向を示した。だが、判決内容を踏まえれば、あまりにも性急であり、少なくとも元代表が国会で説明するのが先だ。小沢元代表復権を図るというのなら国民に自らの言葉で説明し、理解を求めるのが政治家の責務だ。

 小沢元代表とそのグループは消費増税阻止の動きを強めるという。9月の党代表選に向けて「野田佳彦首相降ろし」の動きが加速し、再び党内が混乱する可能性は大きい。
しかし、元代表が有罪か、無罪かの問題と消費増税の是非とは本来、まったく関係がない話だ。民主党は何度も消費増税方針を決定し、既に法案を国会に提出している。元代表らがあくまでも反対だというのなら、もはや離党するのが筋ではないか。増税法案に政治生命をかけるという野田首相も分裂も辞さない覚悟が一段と必要となる。

 国会が抱える緊急の政策課題は消費増税だけではない。自民党など野党も国会招致など小沢元代表の問題と政策課題は切り離し、国会審議を充実させるべきだ。何もかも権力闘争に結びつけてしまう「小沢流政治」から決別できるかどうか。政界にはそれが問われている。

しんがりは 朝日新聞 です。 昔はリベラルでしたが、今や金の亡者の味方新聞です。


小沢氏無罪判決―政治的けじめ、どうつける 

民主党元代表小沢一郎被告に無罪が言い渡された。

 これを受けて、小沢氏が政治の表舞台での復権をめざすのは間違いない。民主党内には待ちかねたように歓迎論が広がる。

 だが、こんな動きを認めることはできない。

 刑事裁判は起訴内容について、法と証拠に基づいて判断するものだ。そこで問われる責任と、政治家として負うべき責任とはおのずと違う。政治的けじめはついていない。

 きのう裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない。

■「うそ」は認定された

 私たちは強制起訴の前から、つまり今回の刑事責任の有無にかかわらず、小沢氏に政界引退や議員辞職を求めてきた。

 「数は力」の強引な政治手法や、選挙至上主義の露骨な利益誘導などが、政権交代で期待された「新しい政治」と相いれない古い体質だったことを憂えればこそだった。

 3人の秘書が有罪判決を受けたのに国会での説明を拒む態度も、「古い政治」そのものだ。

 そして本人への判決が出たいま、その感はいよいよ深い。

 判決は、小沢氏の政治団体政治資金収支報告書の内容はうそだったと認めた。それでも無罪なのは、秘書が細かな報告をしなかった可能性があり、記載がうそであると認識していなかった疑いが残るからだという。

 秘書らの裁判と同じく、虚偽記載が認められた事実は重い。しかも判決は、問題の土地取引の原資が小沢氏の資金であることを隠す方針は、本人も了承していたと認定した。

 資金の動きを明らかにして、民主政治の健全な発展をめざすという、法の趣旨を踏みにじっているのは明らかだ。

 小沢氏は法廷で、自分の関心は天下国家であり、収支報告書を見たことはないし、見る必要もないと言い切った。

■説明責任を果たせ

 これに対し私たちは、政治とカネが問題になって久しいのにそんな認識でいること自体、政治家失格だと指摘した。判決も「法の精神に照らして芳しいことではない」と述べている。

 まさに小沢氏の政治責任が問われている。何と答えるのか。無罪判決が出たのだからもういいだろう、では通らない。

 この裁判では争点にならなかったが、秘書らに対する判決では、小沢事務所は公共工事の談合で「天の声」を発し、多額の献金や裏金を受けてきたと認定されている。

 小沢氏は一度は約束した国会の政治倫理審査会に出席し、被告としてではなく、政治家として国民への説明責任を果たすべきだ。

 民主党にも注文がある。

 輿石東幹事長はさっそく、小沢氏の党員資格停止処分を解除する考えを示した。だが、党として急ぐべき作業は別にある。

 「秘書任せ」の言い訳を許さず、報告書の内容について政治家に責任を負わせる。資金を扱う団体を一本化して、流れを見えやすくする――。

 今回の事件で改めて、政治資金規正法の抜け穴を防ぐ必要性が明らかになったのに、対策は一向に進んでいない。マニフェストに盛った企業・団体献金の廃止もたなざらしのままだ。

 こうした改革を怠り、旧態依然の政治の病巣の中から噴き出したのが「小沢問題」だ。これを放置する民主党の姿勢が、政治と国民との亀裂を広げていることに気づかないのか。

 小沢氏の強制起訴によって、人々の視線が司法に注がれ、刑事責任の有無ですべてが決まるかのように語られてきた。

 だが、判決が出たのを機に、議論を本来の舞台に戻そう。これは根の深い政治問題であり、国会で論じるべきなのだ。

 それを逃れる口実に裁判が使われるようなら、検察官役の指定弁護士は、控訴にこだわる必要はないと考える。

 検察審査会が求めたのは、検察官の不起訴処分で終わらせずに、法廷で黒白をつけることだった。その要請は果たされた。さらに公判で明らかになった小沢事務所の資金管理の実態などは、今後の政治改革論議に貴重な教訓を提供してくれた。

■検察は猛省し謝罪を

 この裁判は、検察が抱える深刻な問題もあぶり出した。

 捜査段階の供述調書の多くが不当な取り調べを理由に採用されなかったばかりか、検事が実際にはなかったやり取りを載せた捜査報告書まで作っていた。あってはならないことだ。

 法務・検察は事実関係とその原因、背景の解明をいそぎ、国民に謝罪しなければならない。「検察改革」が本物かどうか、厳しい視線が注がれている。

 気になるのは、小沢氏周辺から強制起訴制度の見直しを求める声が上がっていることだ。

 ひとつの事例で全体の当否を論ずるのはいかにも拙速だし、政治的意図があらわな動きに賛成することはできない。

 検察べったりの提灯記事と リーク垂れ流し記事への猛省と謝罪はないのだろうね。