昔のことは「水に流そう」でいいの?

 
 読売の社説を読むと日本人として悲しくなる。広島や長崎も過去のこととして米国が主張するように、「第2次世界大戦(太平洋戦争)を早期に終結するために仕方なかった」にくみする言い分である。横須賀の港で、原爆が爆発してもいいのか。東京湾誤爆してもいいのか。過去に事故がなかったからそれでいいのか。これからも「核を持ち込め」とよく主張できるものだ。今後は読売新聞社の地下に核を貯蔵してもらえばいいのさ。


密約報告書 日米同盟強化へ検証を生かせ(3月10日付・読売社説) 

 日本外交に対する国民の信頼回復に不可欠な、「過去」の検証とけじめと言えよう。

 米軍の核持ち込みなどをめぐる日米の密約問題に関して、外務省の有識者委員会の報告書が公表された。

 報告書は、検討対象の4項目のうち、1960年の日米安保条約改定時に、朝鮮半島有事の際、在日米軍の作戦行動を事前協議なしで認める密約があったと認定した。合意文書が発見されたためだ。

 ◆外交への信頼回復図れ◆

 核搭載の米軍艦船の日本寄港などを事前協議の対象外とすることと、72年の沖縄返還時における米軍用地の原状回復補償費の日本肩代わりについては、「広義の密約」が存在していた、とした。

 正式な文書にはされていないものの、日米の「暗黙の合意」などがあった、というのが理由だ。

 沖縄への核の再持ち込みについては、佐藤首相とニクソン大統領が署名した「合意議事録」が最近明らかになったが、「必ずしも密約とは言えない」と判断した。

 重要な権利・義務の拘束を伴うことが前提とする有識者委の「密約」の定義に該当しないためだ。合意議事録は、佐藤首相自身が保管して政府内で引き継がれず、後継内閣を拘束する長期的な効力がなかった、としている。

 両国首脳が署名した重要文書の効力をどう評価するかについては議論が分かれるところだろう。

 しかし、報告書の内容は、全体としてバランスがとれており、妥当と言える。

 核搭載艦船の寄港について、安保条約改定時には日米の認識の一致がなかったが、あえて双方が是正しようとしなかった。

 外務省は、少なくとも80年代末まで、歴代の首相や外相に密約内容を引き継いでいた。一方で、国民には「核の持ち込みはない」などと、誰もが疑問を抱くような虚偽の説明を平然と続けてきた。

 外交交渉に秘密が付き物としても、報告書の指摘通り、この対応には問題がある。もっと早く検証を実施し、政府見解を見直すべきだった。今回、ようやく実現したのは、政権交代の効用だろう。

 ただ、密約が結ばれた時代背景にも着目する必要がある。

 東西冷戦の下、日本への核持ち込みを容認することには、米国の核抑止力を維持するという安全保障上の要請があった。同時に、国民の反核感情は強く、その整合性を取るのは困難だった。 (だから秘密のママで良かったというのだろか?


 ◆非核三原則の見直しを◆

 安保条約改定も沖縄返還も、日米の国益をかけた外交交渉で、ぎりぎりの妥協が不可欠であり、密約は苦渋の選択だったはずだ。

 「過去」の検証は、日本外交を見直すプロセスだが、より重要なのは、日本の「将来」の安全保障である。日米同盟の強化に検証を生かす発想が大切だ。


 鳩山首相や岡田外相は、「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を今後も堅持する方針を改めて表明した。

 政府は、核搭載艦船の日本寄港などを事前協議の対象とするとの立場も変更しないという。

 だが、米国は、全世界にある米軍の核兵器の所在について肯定も否定もしない原則を持っている。日米どちらかが例外規定を設けない限り、両者は矛盾する。 (読売は米国の新聞か?


 外務省は、91年の米軍艦船からの戦術核の撤去宣言により、当面、不都合は生じない、とするが、問題の先送りにすぎない。

 米軍の核抑止力を機能させるため、「持ち込ませず」のうち、核兵器の日本国内配備の禁止は継続するとしても、寄港・通過などは除外することを、政府は真剣に検討すべき時である。

 オバマ米大統領が提唱する「核なき世界」は、あくまで遠い将来の理想にすぎない。北朝鮮の核の脅威や中国の軍事大国化など日本周辺の現状を踏まえれば、米国の「核の傘」は不可欠だ。

 非核三原則を掲げた佐藤首相でさえ、69年10月に「『持ち込ませず』は誤りだった」と外務省幹部に語っていたことが、公表された外交文書で明らかになった。

 鳩山政権が、非核三原則の見直しはタブーだと思い込んでいるのだとすれば、健全な安全保障論議ができなかった半世紀前の密約締結時と変わらない。 (核兵器を縮減する現在に時代錯誤の論


 ◆文書公開を促進したい◆

 報告書は、外交記録の公開制度について、30年経過した文書を公開する原則の徹底と、記録審査体制の拡充を提案した。外務省はその方向で改革を進めるべきだ。

 日本は従来、他国と比べて、公開に慎重すぎた。相手国が公開している内容さえ公開しないのは、外交関係への悪影響よりも、とにかく面倒は避けたいという安易な理由からではないか。 (マスコミがユルイからでしょ

 30年先には文書が公開される。そんな緊張感を外務官僚が持つのは、決して悪いことではない。

(2010年3月10日01時25分 読売新聞)

 歴代自民党政権を批判できない読売は「御用新聞」と呼ばれても反論できないだろう。