チリ大地震の津波 日本地図の点滅で あらためて北方4島を認識した。


 昨日は、3メートルを超す大津波が来ると気象庁が仰るので、楽しみにしていたフィギュアのエキシビジョンが 右下の日本地図がカラー点滅するので、とても集中できなかった。それで夜になれば消えると思っていたら、気象庁の町村氏を若くしたような課長(下部の写真=地震津波監視課の関田康雄課長)さんが「まだ大きいのが来るかも?」ということで、1.2メートルが最大(予測の40%)でも、お上を信じて(かなり少数の人だったらしいが)夜になっても自宅に帰れなかったり、本当に律義(というより責任を取りたくない)なJRは、そこら中で運転をとりやめた。科学が進んでいるのに、何故現地に波が届くまで高さがわからないのだろう? 海岸の沖100キロ位に観測ブイとか観測船を置いておけないのだろうか?大きく予測して、ハズレてもいいじゃないかという意見もあるだろうけれど、大津波警報を次に出しても、今回より一層、対応が鈍くなる気がする。それだけに、もっと精度を高める努力が必要だと思う。


津波予測、過大だった』 チリ地震気象庁が見解 東京新聞 2010年3月1日 夕刊

 気象庁は一日、南米チリ沿岸の巨大地震で日本に到達した津波について「予測が過大だった」として、シミュレーションの改善など予測精度向上に取り組む考えを示した。 

 同庁は東北地方沿岸の津波の高さを三メートル程度とみて十七年ぶりの大津波警報を発表、そのほかの太平洋岸全域にも一〜二メートルの津波を予測し津波警報を出すなどした。だが、実際に検潮所で観測された津波久慈港(岩手)で一・二メートルなど、予測を大幅に下回った。

 同庁地震津波監視課の関田康雄課長は記者会見で「判断ミスがあったとは考えないが、結果として津波が(予測より)小さかったのは事実。精度が十分でなかったことは申し訳ない。ご迷惑をおかけした。率直に反省したい」と述べた。

 日本より先に津波が到達する太平洋上の検潮所のうち、同庁の津波予測シミュレーションと比較・精査できる観測点が、現状ではハワイなど一部に限られているためシミュレーションに活用できる観測点を増やす方針。


  


読売社説の抜粋

 1896年の明治三陸地震では岩手県などで2万人を超える犠牲が出た。1960年のチリ大地震では、22時間後に押し寄せた津波により、岩手県などで100人以上が犠牲になっている。今回は、沿岸部の一部地域で道路が冠水したり、漁業関連施設が津波で海に流されたりという被害が伝えられている。ただ、警報の対象地域には、孤立した小さな集落も多い。高齢のため避難しようにもできない人々もいる。政府は、被災状況の把握を急がねばならない。

 ◆事後検証が大切だ◆
 津波の警報の出し方、対応も現状のままでいいか。十分に津波の怖さを伝えることが大切だ。津波を見ようと、海岸にきた人も各地にいた。自治体などの避難呼びかけを無視するサーファーもいた。こうした行為は、本来必要な対策の足を引っ張る。

 今回は、チリでの地震発生から丸一日近くたって津波が到来したが、南海地震東南海地震など日本近海の地震では、津波は短時間で到来するため、対策にかけられる時間はほとんどない。政府、自治体は対応を十分に事後検証して、改善すべき点はないか見直すことが求められる。
(2010年3月1日01時21分 読売新聞)


津波:避難の3400人帰宅、危機管理に課題も…東海地方  毎日新聞

 南米チリの大地震津波警報が発令された東海地方の沿岸部の自治体では、公民館などに避難していた計約3400人が28日夜までに全員帰宅した。目立った被害はなかったが、避難指示・勧告が解除される前に住民が次々と帰宅を始めた自治体もあり、危機管理に課題も残した。

 三重県などによると、同県内では12市町で最大約3400人が避難したが、28日午後9時までに全員帰宅した。南部の10市町は津波警報解除後も災害対策本部を残して警戒を続けていたが、いずれも1日午前9時までに解散。県災害対策本部も解散した。新たな被害の報告はないという。

 最大波高60センチを観測した尾鷲市では、市全域に避難指示・勧告が出され、一時は238人が避難。しかし、避難指示・勧告が解除される前に次々と帰宅し、午後7時には2人となった。同市の担当者は「市職員らが止めたがだめだった。避難所へ集まるのも台風の時などに比べると遅かった。今回の津波は被害が目に見えにくく、自分たちで『大丈夫』と判断してしまったようだ」と話した。

 三重県鳥羽市と愛知県の渥美半島を結ぶ伊勢湾フェリーと、鳥羽市の離島間を運航する市定期船は津波の影響で28日午後、全便休航となっていたが、1日は午前から通常通り運航している。

 一方、愛知県などによると、6市1町で計約5万2800人に避難勧告が出された同県では4市で計30人が集会場などに避難したが、28日午後9時ごろまでに全員帰宅した。中には津波が同県で観測される前に帰った人もいたという。県水産課によると、県内では水産関連の被害はなかった。【岡大介、鈴木泰広】


避難所利用は6% 津波到達予想時刻にサーフィンも 読売

 大津波警報が発令された青森、岩手、宮城3県の36市町村のうち、34市町村が「避難勧告」よりも強く避難を促す「避難指示」を出した。しかし、読売新聞の調べによると、36市町村の34万人のうち、実際に避難所などで確認できたのは6・2%にあたる2万1000人で、「避難率」の低さが浮き彫りになった。

 1万4966人に避難指示を出した岩手県釜石市でも、避難が確認されたのは950人と、6・3%にとどまった。市は避難率が低い状況を「警報の発令から津波の到達までが長く、住民がテレビなどで得た情報で自己判断したためではないか」と分析する。

 和歌山県では、17市町が約4万5000世帯に避難指示・勧告を発令。四国では徳島、愛媛、高知県で計22市町村が約8万4000世帯に避難勧告を出した。しかし、指定の避難所に身を寄せたのは、和歌山281人、徳島225人、愛媛1767人、高知1514人。いずれも大津波警報ではなく、津波警報だったが、4県の避難率の平均は約1・4%に過ぎなかった。

 和歌山県那智勝浦町では5地区7753世帯(約1万5000人)に避難指示が出されたが、避難所に集まったのは約90人。津波到達予想時刻の午後2時半頃には海岸でサーフィンをする若者の姿も見られた。読売の記者は注意したのか?

 寺本眞一町長は「被害は出なかったが、今後、より厳しく注意を喚起しなければ」と反省を口にする。

 徳島県美波町で、避難所に行かなかった漁業男性(75)は「津波と聞いて気持ち悪い思いがしたが、数十センチなら高潮と同じくらい。大丈夫だろうと思い、漁船も特別なことはしなかった」と話した。

 室崎益輝・関西学院大教授(都市防災工学)の話「勧告や指示を伝達する地方自治体が、町内会などを通してきめ細かに住民へ伝えたか、防災無線を流すだけだったかなどで住民の反応に違いが出たかもしれない。数十センチの津波でも流される危険性があり、津波の恐ろしさを理解してもらうことが必要だ」

(2010年3月1日 読売新聞)

 読売新聞の2月28日20時でまとめた数字が、避難勧告・避難指示を受けた方が(不明の沖縄県=21万5千人に対し実際に避難した人の数が不明なため=を除く)134万5千人に対し、たった3.12%の4万2千人であった。ハワイ諸島到達の時点で、国民は津波を見切っており、50年前のチリ大地震の場合とは圧倒的に情報量が違う。もちろん国内地震で発生する津波は要注意である。1993年(平成5年)7月12日に発生した北海道南西沖地震(ほっかいどうなんせいおきじしん)は、奥尻島で最大30メートルの津波で198名の尊い人命が失われている。


さて、最後に「無味乾燥」「優等生発言」「机上の智恵そのまま」の朝日新聞の社説

チリ大地震―「遠地津波」の怖さ改めて 
 チリ中部沖の海底でマグニチュード(M)8.8の巨大地震が発生した。ハイチ地震の約500倍の巨大なエネルギーである。

 この巨大な地震によって発生した津波はほぼ一昼夜かけて太平洋を越え、北海道から九州、沖縄まで、休日の日本列島を襲った。

 気象庁は、3メートルを超す津波が予測された青森県から宮城県にかけての太平洋岸に17年ぶりの大津波警報を出すなど、厳重な警戒を呼びかけた。

 多くの自治体が住民に避難を指示した。海岸沿いの鉄道が運休、道路も各地で通行止めになり、市民生活には終日、大きな影響が出た。

 高台に避難して不安な時間を過ごした人もいるだろう。最大で1メートルを超す津波が各地で観測され、道路やビルなどが冠水したが、大きな被害がなかったのは幸いだった。

 ちょうど50年前の1960年5月にもチリで、20世紀以来で最大のM9.5の巨大地震が起きた。ほぼ1日後、津波が日本列島を襲った。日米安保条約の改定をめぐって国内が騒然としていたころである。

 このとき津波の到達は全く予想されず、気象庁津波警報を出したのは津波が到達した後のことだった。未明に最大5メートルを超す津波に襲われ(ウィキペディア地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6メートルの津波三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した)、三陸地方などを中心に140人を超える犠牲者が出た。

 太平洋の島々の人々も突然、大津波に襲われ、イースター島ではモアイ像が壊れた。(これは1960年のこと)
 全く地震がないのに襲ってくるこうした津波を「遠地津波」と呼ぶ。不意に襲われるうえ、第2波、第3波の方が高くなる特徴があり、恐ろしい。(この社説子本人は知っていたのだろうか?

 前回のチリ地震津波の経験から太平洋の沿岸国が協力してできたのが、米国ハワイにある太平洋津波警報センターだ。今回も日本をはじめとする沿岸国に素早く津波警報を出した。

 2004年にインド洋沿岸で大被害を出したスマトラ沖大地震津波の経験も、より広い地域での地震津波の観測・警戒のネットワークづくりに生かされている。

 こうして津波の到達時刻や高さが予測できるようになったのは、大きな進歩だ。気象庁のほうがよっぽど問題意識を持っているな)予測の精度をさらに向上させ、被害の軽減に役立てていきたい。

 津波のこわさは、ふくれあがった海が巨大な固まりとなって押し寄せてくることだ。水が引くときに強い力で引き込まれる。数十センチの高さでも大人が流されることがある。決して侮ってはいけない。(ニュースかなにかで見たのでしょうか?

 未明に地震に襲われたチリでは大きな被害が出た。同じ地震国として支援の手を差し伸べていきたい。(どんな援助の手か説明してほしいな

 日本では今回、津波警報が出たのは休日の昼間だった。(時事通信=28日午前に大津波警報などが出されて以来)、予期せぬときに襲うのが自然災害である。

 朝日の社説が1番上の「気象庁」の反省より数段劣っているのがわかりますね。 

ウィキペディア緊急警報放送緊急地震速報などの施行で現在は津波情報が充実しているが、津波警報が出ても避難をしない住民が多いことはかねてから問題になっている。特に地震が頻繁に起こる北海道の釧路・根室地域は非常に多いという。原因としては、

全国的には肝心の津波の恐ろしさ、言い換えれば普通の波と津波の違いが正確に理解し切られていないこと。
北海道の釧路・根室地域に限っては、他地域よりも頻繁に地震が起こるため、たとえ大きな地震が起きたとしても、「あっ、地震だ」とか、「また地震か」といった冷静な態度をとることが強く求められることや、警報や注意報が発表されても、実際には発表された高さをはるかに下回る高さになることが多いため、「まさかここまでは来ないだろう」と高をくくる場合が多いなど、いわゆる地震慣れをしていること。
があると言われている。


例として2mの普通の波と津波との違いについて述べよう。海上では普段から偏西風や低気圧(気流)、月の引力などの影響を受け少なからずデコボコが生じる。2mの普通の波とは、このデコボコの差が2mあるだけの事で、波長や波を形成する水量は比較的少なめで、2mの普通の波が海岸に達した所で海岸付近の地域に被害をもたらす事はそう多くない。一方で2mの津波とは地震などによる海底の隆起または沈下により海水面自体が普段より2m盛り上がり、それが海岸に向かって伝わっていく、言い換えれば2mの水の壁が海岸めがけて海上を走り、岸壁にぶつかると同時に水の壁は崩壊し一気にとてつもない水量が海岸地域を襲うということである。


つまり2mの普通の波は海岸に少量の海水を吹きかける程度であるのに対して、2mの津波は何kl(キロリットル)もの海水が一気に海岸地域を襲い、自動車や多くの人を簡単に飲み込み沖へ引きずり込んでしまう程の威力があるのである。例えば、2mの「波」の水量は2(m)×波長数(m)×0.5×約0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる波の水量は波長3mとして1.5m3(=1500リットル)、ドラム缶数本分である。一方、2mの「津波」の水量は2(m)×波長数十km(m)×0.5×0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる津波の水量は波長10kmとして5,000m3(=5,000キロリットル)、競泳用プール2つ分となる(体積の比較参照)。2003年に発生した十勝沖地震では、実際に2mの津波に飲まれ命を落とした人が確認されている。


 ところが、最近は強力な防潮堤の設置などにより津波がブロックされやすくなったこともあり、津波警報が出るほどの地震が発生しても、津波による多くの犠牲者が出た地震の例は、日本国内に限定すれば1993年の北海道南西沖地震以降2009年現在に至るまでない(但し、数人程度の犠牲者が出た例はある。また日本国外では2004年のスマトラ島沖地震津波がある)。そのような事情から、『津波警報が発表されたけれども、そんなに大きな被害にはならないだろう。』という考えが出てしまうこともありえる。