言霊と政治家と未来

 2004年7月27日の民主党全国大会で一人の基調演説が全米で注目された。
 基調演説=ユーチューブ=http://jp.youtube.com/watch?v=eWynt87PaJ0
2001年の「9.11」以降、分断された米国民の連帯を「リベラルなアメリカはなく、保守的なアメリカもない、あるのはただ一つ、アメリカ合衆国だと。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない、あるのはただ一つ、アメリカ合衆国である」という歴史的な言葉で訴えた。
I say to them tonight, there's not a liberal America and a conservative America - there's the United States of America. There's not a black America and white America and Latino America and Asian America; there's the United States of America.
 彼はイリノイ州議会上院議員という全国的に無名であり、ケニアの小さな村でヤギの世話をしながら、薄っぺらいトタン屋根のついた小屋(学校)で勉学に励みアメリカに留学生として来た父親を持つアフリカ系(黒人)であった。その人こそ米国第44代大統領になるバラクフセインオバマである。オバマは単に「CHANGE」「YES WE CAN」というワンフレーズだけの政治家ではない。その演説は市民の目線、労働者の目線に立脚した思考で、理念と理想を具体化することを「言葉」で表わす。そして彼の言葉に米国民は共感し感動し共に未来を歩むことを選択した。
 古来、日本では言葉にその人の強い思いが宿ると信じられ、それを「言霊(ことだま)」と呼ぶ。良い言葉を発するとよい事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされてきた。現代においても政治家の言葉はひとつの言霊である。それが官僚の用意した原稿を、下調べもせず誤読し、何様なのか上から目線で演説する我が国の首相では、暗い未来しか見えないのは私一人だけではないと思う。

2004年民主党党大会を直前に控えた7月6日、ジョン・ケリー上院議員)候補は、ジョン・エドワーズ上院議員)候補を副大統領候補として指名した。7月28日、ケリー候補の地元マサチューセッツ州ボストンで開かれた民主党全国大会において、ケリー候補とエドワーズ候補は、正式に民主党候補としての指名を受けた。


中日新聞社説より引用(1月29日) 

 麻生首相にしては地味だった。低支持率にあえぎ、求心力を欠く政権の危機をどうするのか。その覚悟が伝わらないから「国民とともに」の言葉もむなしく響く。未曾有の経済危機克服は大丈夫か。

 当初予定より一日遅れての施政方針演説となった。第二次補正予算案の扱いを話し合う衆参両院協議会で、定額給付金の削除を求める民主党が引き延ばし戦術に出たためだ。

 昨秋の就任直後の所信表明では、総選挙を意識してあれだけ民主を挑発した麻生太郎首相のことである。さぞかし激しい民主批判を繰り出すかと思いきや、対決姿勢は影を潜めた。ひたすら身をかがめ、わが道を行く考えのようだ。

 首相は語った。「国民が今、政治に問うもの。それは金融危機津波から国民生活を守ることができるか否かだ」と。その通りである。派遣切りの嵐は一向に収まらず、正社員をものみ込もうとしている。雇用や生活の不安が日本全体を覆う。そんな息苦しさを吹き払い、手を差し伸べるのが政治の使命のはずだ。

 トップの言葉に勇気づけられた人がどれだけいたのか。二〇〇九年度予算案を「生活防衛のための大胆な実行予算」と銘打ち、三年間で百六十万人の雇用創出を打ち出した。数字は立派だが、従来の対応策を網羅的に並べるだけでは、真実味が伝わらない。「官から民へ」をスローガンにした小泉構造改革路線からの転換もなし崩しで説明不足だ。

 何より世論調査で七割が否定的な定額給付金をめぐっては、政府方針の迷走などで内閣支持率の急落を招いた。なのに、一人一万二千円を支給すると触れた程度ではあまりに不誠実だ。本来は一連の不手際への反省の弁があってしかるべきだろう。

 消費税率の引き上げは「一一年度実施」に意欲を示した。増税から逃げないのが責任政党としての矜持(きょうじ)−。首相の持論だ。しかし、景気対策を最優先させるべき時にあえて言及する以上、無駄な道路整備費の大幅カットや高級官僚の天下り根絶など先になすべきことを丁寧に語るべきだ。

 世間の思い、感覚とのずれが気になる。「国民とともに」と言いながら、目指す方向が独り善がりでは共感は得られまい。オバマ米大統領演説のようには聴く側の胸を打たなかったのは、国民の信任を得ていないことも関係しているのではないだろうか。