言論は言いっぱなしではすまないことがある。振り返って自分を直視しなけりゃ

ASPARA新聞ななめ読み より

コラム「素粒子」 批判は結局、自分に返ってくる

 新聞のコラムを書くというのは、むずかしいものです。限られたスペースの中で、意を尽くした論旨を展開するのは至難の業。週に1回の連載でも四苦八苦している私から見れば、毎日コラムを書き続ける負担というのは、想像を絶するものがあります。

 ましてそれが、文字の分量が極めて少ないコラムであれば、言葉を選ぶのに、どれほどの苦労があることか。

 朝日新聞夕刊コラムの「素粒子」は、その名の通り極めて小粒のスペースです。その制約の中で、ピリリと引き締まった文章を書かなければなりません。その苦労がわかるだけに、今回の「死に神」という表現は残念でした。朝日新聞社には多数の抗議が寄せられたと、朝日本紙までが報じることになりました。

 鳩山法相になってからの「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」(「素粒子」6月21日夕刊)というのが筆者の弁明です。

 チクリと刺す、つまり他者を批判するのは、なかなか大変なことです。新聞がすべき批判には二種類あると思います。ひとつは、本来すべきことをしていない人や組織に対する批判です。社会保険庁に対する一連の批判がそれに該当するでしょう。もうひとつは、してはいけないことをした人に対する批判です。談合や汚職がその例です。

 では、鳩山法相の場合はどうだったのか。刑事訴訟法第475条2項に、法務大臣は死刑執行の命令を「判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」と定めてあります。つまり、死刑廃止論はあるにせよ、死刑執行を命令したのは、法相の本来業務なのです。

 本来業務をしたことに対する批判というのは無理があります。もちろん「本来業務」がおかしい、という立論は可能です。その場合は死刑廃止論を展開すればいいのです。それをせず、本来業務を遂行したことについて大変きつい言葉を使ったのは、失敗と言わざるを得ないでしょう。

 この欄で、私もわかりにくい新聞記事を批判しますが、他者への批判は、結局自分に返ってきます。「お前は、そんな偉そうなことを言えるのか」と、常に自問自答。くたびれます。読者からの批判の投書を読んでは落ち込んでいます。

 今回「素粒子」の筆者は、読者から多数の批判を受け、「批判される立場」の辛(つら)さを痛感したはずです。今後は、自分が批判する相手の「批判される痛み」に想像を馳(は)せた上で、「温かい批判」をすることを期待します。

池上 彰(いけがみ・あきら)ジャーナリスト。50年生まれ。NHK記者として、事件・事故、教育、災害、消費者問題などを取材。94年からは、「週刊こどもニュース」のお父さん役を務め、05年3月に同局を退職、フリーに。主な著書に「そうだったのか!現代史」(集英社)「おしえて!ニュースの疑問点」(ちくまプリマー新書)、など多数。
(2008年6月30日付朝日新聞東京本社夕刊から)