毎日新聞 メディア欄 「光母子殺害事件テレビ番組の功罪」より

 突如、「被告」のあるいは弁護団の立場に立ったいわゆる「意見書」を出してきた。弁護団に激しいバッシングというが、彼らは、この事件をテコにして、死刑廃止の方向をめざしたことは明らかである。つまり利用したのである。これに対して、多くの国民が反応し、弁護団及び被告の言い分を(もちろん例え荒唐無稽であったとしても肯定も否定も私には出来ないけれど)認めるにしてもそれは「半分の真実」でしかありえない。では、無残に殺害・陵辱そして非人道的な死体として放置された被害者の半分の声は誰が主張するのだろうか?もし、本件で本村さんが「半分の声」を代弁しなければ、弁護団の主張する単なる「傷害致死」ですませてもBPOは、これに対しても、意見書を提出したのだろうか?

 90年代の後半から各地で粘り強くつづけられてきた重大犯罪の被害者家族と遺族の活動が、「犯罪被害者の会」(現在は「全国犯罪被害者の会」と改称)の結成に結実し(00年1月)、事件のたびに過熱した報道を繰り返すメディアに反省を迫っていたからである
 同会は、重大犯罪の被害者の遺族がこうむる、事件それ自体からの精神的苦痛、被害者にも落ち度があったなどという社会からの偏見、加害者の処遇に比して極端に不公平な被害者側に対する保護や救済のあり方、被害者やその遺族を裁判の過程から排除する司法制度、等々の現状や問題点を指摘し、被害者側の人権に配慮するよう、強く訴えてきた。

 これまで被害者の遺族・関係者が裁判の埒外に置かれていた事実に対して、事実経過のみとして、何故、BPOは、この意見書で「反省」の態度を表してないのは、著しく「正義」に反することではないのか。 

 山口県光市の母子殺害事件差し戻し控訴審で、広島高裁は4月22日、事件当時18歳30日だった元少年(27)に死刑判決を言い渡した。この裁判では弁護団が激しいバッシングにさらされ、放送倫理・番組向上機構BPO)が判決前(4月15日)、テレビ報道を批判する意見書を出した。一連の経緯を検証した。

目  次
Ⅰ はじめに-事件・犯罪・裁判報道の重要性

Ⅱ 光市母子殺害事件―差戻控訴審までの経緯と報道側の変化 

マスメディア、とくに民放テレビ各局は一連の差戻控訴審の動向をニュース番組や情報番組などで大きく伝え、広く社会的関心を集めた。
 とりわけ焦点となったのは、被告と、差戻控訴審に際してあらたに結成された弁護団が、第1審以来踏襲されてきた殺意と犯行の態様に関する事実認定とは異なる「事実」を提示し、「傷害致死」を主張したことをめぐってであった。
 弁護団は山口地裁の第1審、広島高裁の第2審ともに「十分な事実審理を尽くしてこなかった」、それは「司法の怠慢」だったと指摘し、被告人の幼少時から少年期にかけて、父親から激しい暴力を受けていたこと、同様に暴力を受けた実母が自殺したことなど、問題の多かった生育歴と精神的発達の遅れを強調し、被告の犯行時における心理状況を中心に、さまざまな弁論を展開した。
 そのうえで、被告が主婦を殺害したことについて、「被害者の予想外の抵抗に遭って、驚愕のうちに被害者を死亡させたものであって、殺意はない」などとし、幼女殺害についても、「泣きやませようとして首に紐を緩く巻いて、チョウチョ結びをしたものであって、殺意はない」等々と主張した。
 一般に弁護人は、守秘義務の制約があるため、弁護内容やその方針について法廷外で開示することに消極的と言われるが、差戻控訴審弁護団は集中審理の折々に記者会見や背景説明(取材者対象のレクチャー、記者レク)を行い、主張の根拠となる「事実」を解説していた。
 他方、従前から死刑判決を求めて積極的な発言を繰り返していた
被害者遺族も記者会見やインタビュー等において、被告が法廷で語った供述や、それらを引き出した弁護団に対する反発と怒りの姿勢を示し、あらためて被害者遺族としての無念の思いを語った。
 こうした法廷外の対立構造がクローズアップされるなかで、各局は広島高裁前からの現場レポート、法廷スケッチ、記者会見やインタビューの映像、再現ドラマ、法律専門家のコメント、スタジオトーク等々を組み合わせた番組を多数、かつ長時間にわたって放送した。そのほとんどが被害者遺族の発言や心境に同調し、被告や弁護団に反発・批判するニュアンスの強い内容だった。なかには出演者が被告・弁護人の発言や姿勢に対して、明らかに罵詈雑言と思われる言葉を浴びせかけたり、激しいバッシングを加えるようなものもあった。

 上記の激しいバッシングも、物理的な行動をおかされたのではなく、一種の脅迫も含む言論でのことである。それをいうなら、上記赤線で示してあるとおり「、「被害者の予想外の抵抗に遭って、驚愕のうちに被害者を死亡させたものであって、殺意はない」とさも、被害者が抵抗したことが死亡原因であるがごとくの主張は、今は物言えない被害者に対する「バッシング」ではないのか。また幼児にたいしても緩く紐を締めたというが、何故それで死んだのか?それを弁護団は説明すべきではないか。死んだ(殺された)被害者の「人権」は誰が守るのか?
検察はこれに対して記者会見なんかはしない。では、守ってあげれるのは被害者の遺族・支援者(それも過重な労力とタフな精神力がなければならない)だけである。 

Ⅲ 33本、7時間半の番組-委員会検証の対象と方法

Ⅳ 集団的過剰同調-本件放送の事例と傾向

Ⅴ 刑事裁判-その前提的知識の不足

Ⅵ 被告人報道-いわゆる「素材負け」について

Ⅶ おわりに