6月26日

□「清谷防衛経済研究所ブログ分室」さんの6月25日エントリー 
新聞記者が匿名ってのは卑怯じゃありませんか? A新聞社記者、団藤保晴さんへの公開質問状。→http://kiyotani.at.webry.info/200506/article_44.html
◎世界7月号をみていないのでここではコメントをしません(買いにいこうw)エントリーの一部を引用します。

例の「ヒゲ記者」事件に関して書くのはもう止めよう、そう思っていました。
 ですが、団藤保晴氏なる新聞記者が異常なまでの新聞記者の実名公表に対して否定的な論、しかも事実誤認を与えるような「報道」をネット上や雑誌「世界」7月号(岩波書店)のご自身の連載「ブログ時評onSEKAI」、「団藤保晴の記者コラム『インターネットで読み解く!』」「ブログ時評」の「 T記者名暴露:新時代象徴なら貧しすぎる [ブログ時評23] 」などで開陳しておられるので、敢えて再度取りあげることにしました。

団藤保晴氏への公開質問状
①新聞記者は実名で仕事をすべきか、それとも匿名的存在であって許されるべきか。
②件のJR西日本の記者会見におけるヒゲ記者こと読売新聞の竹村記者の態度に問題はなかったのか。
③現在の記者クラブは著しく不公正、また報道の自由を歪める存在ではないのか。
④青灯クラブは取材拒否をしたが、記者クラブは取材をうける必要は無いのか。
⑤実名を挙げて新聞記者への批判は許されないのか。
以上の質問にお答えいただければ幸いです。

参照リンク→「木偶の妄言」さんの5月6日エントリー 取材者も襟を正せ
一部を引用します。

脱線事故を取材する記者たちに、同じ取材する側として苦言を一つ呈しておきたい。JR西日本が開いた会見の場で、JR西日本の説明者をあたかも糾弾するような口調で責め立てる記者がいた。テレビの司会者が「僕らの声を代弁している」とか寝ぼけたことを言っていたが、もちろん違う。傲慢に聞こえるかもしれないが、ジャーナリズムは社会正義を実現するためにあるのだと僕は思っている。しかし、あの記者はその正義をはき違えている。
 僕ら取材者はなぜ、あの会見の場にいるのか? それは国民の知る権利を代表して、あの場で明らかにせねばならない事実をはっきりさせ、相手が隠そうとすることを引き出し、分からない事実は何かを明確にするためにいるのだ。つまり社会正義を実現するために、その判断材料となる事実を読者/視聴者に提示するために、あの記者会見の場にいるのだ。社会正義そのものとなったり、社会の声を代弁して、相手を追求したり、指弾したりするためにいるのではない。

【追記2】この記者の名前を鬼の首を取ったように喜んで晒しているブログが少なくない。まあ、最初にこの記者を特定した某ライターの記事には一定の価値はあるかもしれない。しかし、その名前をコピーペーストしてあちらこちらに晒しているブログは、ただの「つるし上げ」ではなかろうか。自ら「社会的制裁」を加えて自己満足をしている、という意味では問題の記者の行為となんら変わりがない、と僕は思う。

○僕の5月11日エントリー→http://d.hatena.ne.jp/makyabery/20050511/p2


キャッチコピー「生き残れるのは、自己改革に成功した者だけである。」

ローマから日本が見える

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