新たな展開 様々な波紋

 お馴染のアサヒ・ドット・コム2005年03月24日03時03分より引用

「乗っ取られるなら番組降板」 江本孟紀さんら意向
 ニッポン放送の番組に出演している野球解説者の江本孟紀さんや出演交渉中の歌手中島みゆきさんらが、ライブドアが経営権を持った場合には降板や、出演しない意向を示していることが23日、明らかになった。ニッポン放送が書面にして東京高裁に提出していた。
 この書面によると、ほかに脚本家の倉本聰さん、タレントのタモリさん、市川森一さん、加藤諦三さんらも番組降板を申し入れてきている。江本さんの事務所によると、江本さんは「プロ野球を辞めたときにニッポン放送さんが解説者として拾ってくれた。その恩がある。ライブドアに乗っ取られるなら、心情的に続けることはできない」と話している。
 倉本さんは「今は亀渕社長の『ずるい』という一言が胸にずしんと響いている」と語った。 ニッポン放送は、ライブドアが経営権を掌握すると「最も重要なパーソナリティーの確保にも重大な支障が生じる」ことの具体的例証として、こうした人たちの動向を書面に盛り込んだ。「人気パーソナリティーが降板することは、即『聴取率の低下』を意味し、広告媒体としての価値が落ちる」と主張していた。

 僕はゴシップとかスキャンダルに興味はないのだけれど、大きな社会の流れの中で、著名な人や評論家・学者が示す言動についてこれまで、過去を振り返って言及(これもブログのおかげで個人ができるようになった)したいと常々思っていた。
 江本氏には悪いけど「意味不明」とコメントしておこう(経営者の鹿内氏が追われたときにはやめなかったのに)。タモリ氏がよくわからないのだ。彼はいつからそんな高所から物を言うタレントになったんだろうか。テレビに登場した頃は、かなり際物の芸人で(つまり既成概念からはずれた)出発したはず、その意味では体制(この場合はフジテレビ)に取り込まれたとしかいえないな。
 いまどき堀江氏の何をおそれているのだろう?仮にも年商300億円の社長が、意味もない大量首切りや報道に干渉とかしてくるファシストだと思っているんだろうか?嫌な人は出なくていいと思う。そんな余裕のある方は出なくていい。ここで世代交代なりもっと魅力的なパソナリティがあらわれればいいのだ。タモリさん そろそろ引退してもいい頃。

読売新聞掲載 評論家の木元教子さん「高裁決定は時代の流れに沿った妥当な内容」、評論家の塩田丸男さん「株式会社は株主のものだし法的には高裁決定は仕方ない」

朝日新聞3月24日社説より引用

メディア買収――堀江さん、荷は重いぞ
 ニッポン放送をめぐる株式の争奪戦は、新株予約権の発行差し止めを認めた地裁の判断を東京高裁も支持し、ライブドア側に軍配があがった。株主の権利を重んじ、現在の経営陣の地位を守るような大量の予約権の発行を認めなかった第一審の決定は重く、それを踏襲した高裁決定も市場ルールからみて納得できる。戦略や体力を包み隠さず示し、評価を第三者に委ねる企業には、一定の基準さえ満たしていれば、分け隔てなく上場の道が開かれているのが株式市場だ。巨額の資金が行き交い、一瞬の判断が損益に直結する場である。透明なルールが公平に適用されねばならない。ニッポン放送は、その上場会社のひとつだ。株は誰でも売買でき、株主としての権利を得ることができる。新たな大株主を受け入れまいと、フジテレビの持ち株比率を高めようとした振る舞いは批判されても仕方がない。
 ニッポン放送は、ライブドアの傘下に入る。ライブドアとフジとの提携交渉も本格化するだろう。これを機にしっかりと考えておきたいことがある。ニッポン放送もフジも娯楽番組に力を入れてはいるが、同時に報道にも携わるニュースメディアである点だ。資本の理屈とは別に、国民の知る権利の担い手という性格を持つ。利益ばかりを追い求めるようでは、社会から託された責務を果たせなくなる。報道機関が本来の使命を果たすには、言論や表現の自由が欠かせない。その自由を侵すのは政治や国家ばかりではない。株主や広告主が喜ばないことでも、報じなければならない時がある。取材網を抱えるメディアは、その維持に多大な費用を投じている。それがあってはじめて、国民が知りたいニュースを伝えられるが、目先の利益につながらないことも多い。また、社員の献身があればこそ、スクープや調査報道などが成り立っている面も否定できない。読者や視聴者の知る権利を最優先しなくてはならないメディアは、かならずしも株主の思いのままにはならない存在とも言える。報道部門を持つ経営者は、株式の公開に伴う副作用の大きさに、一般企業の何倍も敏感でなければならない。すでに在京キー局のすべてが上場している。報道に携わる重みや特殊性を株主に十分に説明し、理解を深めあうしか道はない。株主もまた、単なる金もうけの先ではない、との自覚が求められる。
 堀江貴文ライブドア社長は、報道機関としての重責を真正面から受け止めてもらいたい。国民の期待に応えられないようでは、利益を出すどころか、存立さえ危うくなるし、会社を支える社員たちからも見放されてしまう。ニッポン放送株を得る際に時間外取引という抜け道を使ったが、こうしたやり方を続けては、報道機関を預かるにふさわしい信頼感は生まれない。

 各メディア及び識者といわれる人が上記の社説のようなことを言うけど、ある程度新聞が言うことには説得力がある(但しが付くけどその話は別の日に)、テレビの場合は、報道とかいわれても(朝や昼にしているのはワイドショーです)その社での位置づけは多分バラエティよりも低いと言える。報道はつけたしである(そういう意味で緊急時には国民の多くがNHKを見る)フジテレビのキャッチフレーズであった「面白くなければテレビじゃない」は正直なコピーだった。そういうテレビが堀江氏に「どんなビジョンがあるんだ」と声高にせまるのはお門違いであると思う。
 しかし、堀江氏の今後は注意深く見なければならない。ま〜それも市場が判断するものだと思う。
3月24日付・読売社説(1)より引用

ライブドア]「堀江氏の『メディア観』が心配だ」
 ライブドアに上がった軍配は覆らなかった。ニッポン放送新株予約権発行をめぐる仮処分申請で、東京高裁は地裁に続き発行差し止めを命じた。今後、ライブドアは株を買い増してニッポン放送の経営権を握るだろう。“本丸”のフジテレビも買収し、フジサンケイグループ全体に影響力を強める狙いがある、と言われる。そうなれば、産経新聞、扶桑社などグループ内の複数のメディアのありようまで、一変させることも可能になる。
 司法の場で争われた「企業価値」は、あくまでも「経済的価値」だった。公共性やジャーナリズムを担う、メディアの特質が論点になることはなかった。経営者としての支配が現実となりつつある今、ライブドア堀江貴文社長のメディア観が問われている。「ジャーナリズムはインターネットがない時代には必要だったが、今は必要ない」「メディアはあくまで媒介者。ありのままを伝えるのが一番」。新聞のインタビューに答えての発言だ。ネットに生の情報を流しさえすればいい、選択して利用するのは受け手がすること。そう言いたいのであろう。雑誌のインタビューに、「最終的にはすべてインターネットになるわけだから、いかに新聞、テレビを殺していくかが問題」とも語っている。 マネーゲームの最終章は、新聞やテレビを「殺す」ことなのか。残念だが、既存メディアの役割を全く理解していないとしか言いようがない。権力を監視し、社会の不正を暴き、公正な世論を形成する。新聞や、放送のニュース部門は、その精神で取材・報道に心血を注いでいる。官庁や企業の発表、発生した事件を垂れ流すだけでは、ジャーナリズムとは言えない。隠れた真実を探り出し、必要な関連情報とともに提供することが、国民の「知る権利」に応えることになる。しかも、放送は公共財としての電波を使う。政治的公平性、事実を曲げないこと、多角的な論点を提示することなどが放送法で義務づけられている。災害時には避難の呼びかけ、被災者情報などを迅速に流す高い公共性も求められる。堀江社長の語るメディア観では、放送の将来が心配だ。産経新聞を「エンタメ(娯楽)路線」や「経済紙」に転換すると言うが、同紙の築いてきた言論路線まで否定するのだろうか。マネーゲームで「経済的価値」を追求することは自由だ。だが、ジャーナリズムの基本精神は、“マネー追求”とは遠いところにある。

 雑誌のインタビュー(週間ダイヤモンドみたいだが)に、「最終的にはすべてインターネットになるわけだから、いかに新聞、テレビを殺していくかが問題」は全体を見ていないのでなんともいえませんが、言葉だけを再利用されて(悪いほうに)いる。
結構、マスコミ関係者でブログを知らない方が多そうです。堀江氏のいうジャーナリズム
感はこれまでのジャーナリズムとは違うことは明白であるからこの議論はかみ合わないと思う。それで、堀江氏を批判する人も一度ブログをすればある種の世界観が変わるんじゃないかな?