甲子園に木霊した 桧山コール

スポーツ報知 

阪神4―3巨人(5日・甲子園) 阪神桧山進次郎外野手(44)が、猛虎ファンにひとまず別れを告げた。引退試合となった巨人戦に、昨年5月27日の西武戦(甲子園)以来のスタメンとなる「5番・右翼」で出場。3打数無安打に終わったが、阪神一筋に22年間プレーし、近年は代打で抜群の勝負強さを誇った“神様”に割れんばかりの拍手が送られた。まだバットは置かず、ポストシーズンで悲願の日本一を目指す。

 鍛え上げた体を伸ばし、美しく舞った。桧山はチームメートの手で8度、甲子園の夜空に突き上げられた。「すごく高く胴上げされて若干、怖かった。自分らしく明るくいきたいと思っていたし、一体感を持ってやれた」。黄色いテープが乱れ飛ぶなか、場内を1周。さらに03年のリーグ優勝時を再現したいと、ファンに万歳を促しながらもう1周フェンス沿いを歩いた。

 3度の守備機会を無難にこなし、安打は出なかったが、打席に3度立った。8回の守備からベンチに退くと、ファンのため息が渦巻いた。「皆さんに伝わっていなかったので、声援に応えるのが一番と思った」。ベンチを飛び出し、右手を高々と突き上げ、スタンディングオベーションに応えた。「あんな打撃ならやめて正解だ」。試合後、東洋大の恩師である高橋昭雄監督にだけはカツを入れられ、苦笑いした。

 今年の交流戦中、自らが音頭を取り、昨年限りで引退した金本知憲氏(45)、下柳剛氏(45)=ともに野球評論家=の現役生活をねぎらう食事会を開いた。その席で逆に励まされた。「ヒーやんはまだまだ元気。日本一を目指して頑張ってくれ」。03年のV戦士が集う中、現役はいつの間にか自分一人。猛虎を去った仲間の分まで、頂点に立つ思いを背負った。


7回1死、最後の打席で一ゴロに倒れた桧山(手前は小山)
 「今日は一つの区切りであって、本当の仕事が残っている。今のところ日本一になれずに終わっている。やはり最後は、チャンピオンフラッグを甲子園に持って帰らないと」

 長男・周成君(11)、次男・宗秀君(8)から花束をもらうと、さわやかなパパの笑顔がはじけた。最終章のポストシーズンでは、再び“神様”として打席に立つ。

 ◆桧山 進次郎(ひやま・しんじろう)1969年7月1日、京都市生まれ。44歳。平安高(現龍谷大平安)、東洋大を経て、91年ドラフト4位で阪神入団。92年5月30日の巨人戦(甲子園)でプロ入り初先発初出場。97年に自己最多の23本塁打を放つなど、22年間の通算成績は1959試合に出場し、打率2割6分、159本塁打、707打点。代打での通算158安打、111打点は球団記録。177センチ、78キロ。右投左打。

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