映画「日日是好日」


http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=11

読み
日本語の禅語としては「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされるが[3][1]、「にちにちこれこうじつ」とする例もある[4][7]。

日常的な表現としては「ひびこれこうじつ 」とも読み、その読みで作品名などになっている例もあるが[注釈 1][9]、同様に「ひびこれこうにち」[注釈 2]、「ひびこれよきひ」とする例もある[注釈 3]。


解釈
日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である[1]。

そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている


ムービー・ウォーカーより

映画のストーリー結末の記載を含むものもあります。


真面目で理屈っぽい20歳の大学生・典子黒木華)。おっちょこちょいな自分に嫌気がさす典子は、ある日、母親(郡山冬果)から「お茶、習ったら」と突然勧められる。意味がわからず困惑する典子だったが、同い年の従姉妹・美智子(多部未華子からも誘われ、二人は自宅近くにある茶道教室の先生を訪ねる。


その先生は大きな家にひとりで暮らし、巷で“タダモノじゃない”とうわさの武田のおばさん(樹木希林だった。稽古初日。典子と美智子を茶室に通した武田先生は、挨拶もほどほどに稽古を開始。折り紙のような帛紗さばき、ちり打ちをして棗を『こ』の字で拭き清める。茶碗に手首をくるり茶筅を通し『の』の字で抜いて、茶巾を使って『ゆ』の字で茶碗を拭く。お茶を飲み干すときにはズズっと音をたてる。茶室に入る時は左足から、畳一帖を六歩で歩き七歩目で次の畳へ……。意味もわからない所作に戸惑うふたり。


毎週土曜、そんなふたりの稽古は続いた。鎌倉の海岸。大学卒業を間近に控えたふたりは、お互いの卒業後を語り合う。美智子は貿易商社に就職。だが典子は志望の出版社に落ちて就職を諦めていた。就職後、美智子はお茶の稽古をやめてしまったが、出版社でアルバイトをしながらお茶に通う典子には後輩もできた。お茶を始めて2年が過ぎる頃、梅雨どきと秋では雨の音が違うことに気付く典子。冬になり、お湯の“とろとろ”という音と、“きらきら”と流れる水音の違いがわかるようになった。


がんじがらめの決まりごとに守られた茶道だが、その宇宙の向こう側に、典子は本当の自由を感じ始めるのだった。お茶を習い始めて10年。いつも一歩前を進んでいた美智子は結婚し、ひとり残された典子は、好きになったはずのお茶にも限界を感じていた。中途採用の就職試験にも失敗。お点前の正確さや知識で後輩に抜かれ、武田先生には、そろそろ工夫というものをしなさいと指摘される。大好きな父(鶴見辰吾)とも疎遠な日々が続いていたある日、典子に転機が訪れる……。