報道の在り方

なぜ日本テレビで“不適切な取材”が次々に続出するのか?

水島宏明 | 法政大学教授・元日本テレビNNNドキュメント」ディレクター
2013年7月21日 11時3分

7月19日(金)の日本テレビスッキリ!!』は、静岡県での豪雨や広島県の少女の遺体遺棄事件、インドの小学校給食での集団食中毒死事件を伝えた後、CMの後、突然、出演者4人が立ったまま、カメラに向かって立っていた。
番組開始から50分以上経過していた。

司会の加藤浩次が「番組からお詫びと訂正があります」と切り出した後、日本テレビの森圭一アナウンサーが以下のようなコメントをした。
スッキリ!!』が去年2回にわたって特集したインターネットによる詐欺事件の特集で「被害者として紹介した方のうち2人が実際には被害者ではなかったことが分かりました」という。番組は去年2月29日、女性をターゲットにした新たな出会い系サイトを使った詐欺被害について特集した。その中で「実際にお金を支払ってしまった女性」として顔を隠した女性が「200万円くらいだまされて支払った」と証言した。番組内で千葉県に住む28歳の女性だと紹介されていた。しかし、この女性は詐欺被害の相談を受けている弁護士として特集に登場した奥野剛弁護士の知り合いに過ぎず、被害者ではなかったという。
さらに去年6月1日、芸能人になりすましたサクラサイト詐欺の被害や手口を放送。400万円ほどの被害に遭ったという男性が顔を隠して登場した。この男性も奥野弁護士が日本テレビに紹介したが、被害者ではなく、奥野弁護士が頼んだ人物だったという。

森アナ
「番組では奥野弁護士から被害者として紹介された2人について十分な裏付けを取らずに放送しました」。

加藤浩次
「視聴者のみなさんには実際には被害者ではない2人を被害者として放送したこと、ここにおわびしたいと思います。今後こうしたことのないよう、再発防止に努めてまいりたいと思います。申し訳ありませんでした」。

この言葉と一緒に加藤、森アナ、テリー伊藤、杉野真美アナの出演者4人がカメラの前で一斉に頭を下げ、そのままCMに入った。
日本テレビではこの数年、同じ様な“不適切な取材”が相次いでいる。「被害者」だったり、「内部告発者」や「客」だったり、という違いはあるにせよ、結果的に偽った人間をあたかも本物であるかのように扱った偽りの報道が続いているのだ。
今回のような取材相手の言い分を丸のみに信じて「紹介された」ケースもあれば、取材した人間自身が偽装を主導したケースもある。いずれにせよ“不適切な取材”が後で発覚してしまう現状に、去年まで日本テレビの報道現場で働いてきた一人として心を痛めてきた。

振り返れば、この種のことは毎年のように起きている。

2009年、報道番組『真相報道バンキシャ!』で裏金虚偽証言が発覚した。岐阜県が発注した土木工事に絡み裏金作りが行われているという建設会社役員の証言をスクープとして報じたが、証言がまったくの虚偽であることが後で判明したのだ。内部告発者は自演だった。誤報だったばかりか、結果的にこの放送が県に対する偽計業務妨害という犯罪の手段にもなったとして、放送倫理に関する第三者機関・BPO放送倫理・番組向上機構』の放送倫理検証委員会は、初めて「勧告」を出し、日本テレビに再発防止策と検証番組の放送を求めた。検証番組は、幹部たちが次々と頭を下げるという事実上の謝罪番組だった。社内では当時の報道局長が更迭され、関係者が出勤停止などの懲戒処分を受け、社長も辞任するというかつてない事態となった。

2011年には夕方のニュース番組『news every. サタデー』で放送されたペットサロンとペット保険の2人の女性客が、実は一般の利用者でなく、ペットビジネスを展開する運営会社の社員だったということが発覚した。取材した記者自身が会社側に頼んだもので、虚偽を知りながら、一般客として放送していた。これも上司が更迭され、BPO放送倫理検証委員会が問題視した。

そして去年(2012年)4月、やはり夕方のニュース番組『news every.』で放送された原発事故後に不安が広がった「飲み水の安全性」の特集で、「宅配の水」の利用者として紹介された女性が、実は一般の利用客ではなく、宅配水メーカーの経営者の親族(会長の三女で社長の妹)でかつ執行役員の妻であり、大株主でもあったことが判明した。これにもBPO放送倫理検証委員会が意見書を出した。
去年10月にも『スッキリ!!』や『news every.』などで、日本人研究者の森口尚史氏がiPS細胞から心筋細胞を作り患者の心臓に移植する世界初の臨床応用に成功したとして、同氏の単独インタビューを報道。これもまったくの誤報だった。 

こうした不適切な取材のたびに社長ら首脳が口にするのが、「裏付けが不十分だった。裏付けをきちんとするという基本に忠実にならなくてはいけない」という言葉だ。同じフレーズが何度繰り返されたことだろう。

BPO放送倫理検証委員会も、日本テレビで同様の不祥事が相次いでいることに神経を尖らせている。川端和治委員長(弁護士)は去年秋、日本テレビを訪問して同局首脳らと意見交換を行った際、「また同じことを繰り返したら、もう後はない」と警告したほどだった。

テレビ報道の現場に長いこと身を置いた経験者としての立場で公平にみると、日本テレビはずさんな報道が日頃から多いというわけではない。むしろ印象は逆だ。報道の際の事実確認や放送の際の言い回しなどの注意深さは在職した当時も今も手堅い方といえる。現在、研究者という立場で各局のテレビ報道を公平に見る限り、むしろ他の民放の方が裏取りしているか心配な報道や飛ばした印象を受ける取材や原稿が目につくことも少なくない。
現在の日本テレビ社長の大久保好男氏は読売新聞出身で、報道の重みや誤報の怖さを肌身で知っている人物だ。2011年の社長就任以来、こうした問題が二度と起きないように号令をかけてきた。経営トップとして責任を果たそうとする姿勢が様々な形で鮮明で、社外の評判も良い。

それでも日本テレビでばかり同じような“不適切取材”が繰り返されるのはなぜか。「裏付けが不十分」な放送がなぜ行われるのか。私は取材した記者やディレクター、デスク、プロデューサー、部長らの「現場での取材勘」というべきものがどんどん劣化していることが背景の一つにあると考えている。森口氏のケースはまさに典型だが、彼の言葉や表情、しぐさなどから、本当のことを言っている人物なのかどうかを疑わなかった記者やデスクらの行動は不思議なほどだ。「この人、ウソついている」というのはテレビを見た子どもでさえ口にした感想だ。読売新聞が大きく書いた後で、それに引きずられたにしても、だ。
現在のテレビ記者は忙しくなりすぎて、取材現場でいろいろな人物と渡り合い、本当のことを言う人物か虚偽癖がある人物か、この問題ではどの団体や専門家を取材すれば間違いないか、どの弁護士が信頼できるか、などの取材経験の蓄積や情報・人物を腑分けする能力が落ちている。福島第一原発以降の記者の動き方を見ても、最近の若手記者は東電などの記者会見での一字一句をパソコン画面に向かって必死にパチパチと打ち続ける作業に終始し、ほとんど会見場と会社の往復しかしないことも珍しくない。事件や問題が起きている現場に足を運び、その渦中の人間と向き合って、それぞれの立場を推し量ったり、痛みを共感したりする機会もどんどん減ってきている。記者が現場に行かなくなっている。俗に言う「足で取材する」という機会が少ないのだ。各局の中でも日本テレビではとりわけ記者やディレクターなどの動かし方や取材の効率化を上から厳しく言われ、「その日に放送するニュース取材のネタでなければ基本的には現場に行かない」(若手記者)というような職場環境だ。記者はそれぞれのテーマについて勉強する時間も少なくなる。取材の勘も育たない。間違えやすい。騙されやすい。

経営トップが再発防止を指示しても、これでもかというほどまた起きてしまうのには、再発防止策に根本的な間違いがあるからだろう。他の組織にも言えることだが、この種の再発防止策はマニュアル主義に陥りがちだ。「ガイドライン」などのマニュアルを整備することに大半のエネルギーが割かれてしまう。また社内に「危機管理委員会」などのチェックポイントを設置し、放送内容を審査する責任ポストを作る、連絡体制を密にするなどという放送に至るプロセスの見直しを伴うのも常だが、ともすれば取材や番組制作の現場にとっては「業務負担の増大」「受け身の仕事」という形になってしまう。

VTRをチェックする過程が増える。すると現場のディレクターからすれば、たとえばこれまで4回のプロデューサーチェックで済んでいたところが「試写」が6回にも7回にもなる。編集前にも見せて、編集後にも見せる。アニュアル主義やチェックの増大は、個々の現場記者やディレクターを「何も知らない子ども」や「歯車の一つ」として扱うことと同様だ。そのことが現場から力を奪っている。

どこかに取材に行った時に、上司に提出する連絡の書類が増える。報告すべき事項や報告相手が増える。そうなると、本来は必要な、取材するテーマや取材する人物に割くべき時間やエネルギーが削られてしまう。

日テレに限らず、多くのマスコミでは何か不祥事があるたびに会社としてこうしたコンプライアンス徹底主義に舵を切り、結果的に現場の人間たちの負担が増えてしまうというジレンマがある。不祥事のたびに報道番組や情報番組のスタッフはホールなどの一堂に集められ、社内で新たに決定された再発防止策について研修会を受けさせられる。重苦しい雰囲気の中、責任者が訓示する。社長はもとより担当取締役、局長らにとって、こうした不祥事は突発的に発生し、その都度「それぞれの進退がかかる責任問題」となっていくから本気度も違う。それより下の管理職にとっては、再発防止でどれだけ目に見える体制を構築するかが、評価・査定にも関わってくる。それゆえ、こうした不祥事が起きるたびに「ここぞとばかりに張り切る管理職」や「それを上手に利用して上昇しようとする管理職」も出てくる。いきおい再発防止策の構築は、社内向けの「内輪向け」パフォーマンスという色彩も帯びていく。

だが根本的な問題は、放送前のチェックのポストを増やしたり、関門を増やしたりする、ということではない。個々の人間たちが取材力=取材する力や報道の倫理を獲得することがむしろ大事ではないか。

サッカーにたとえるなら、今、行われていることは個々の選手が勝手に判断せずに、監督の指示通りに動くように上からマニュアルを押し付けるやり方だ。個々の判断をせずに監督に逐一、伺いを立てて指示を仰げ、と。個々の選手は受け身で決められた細かい手順をこなすことをますます求められる。

だが、本当に組織が強くなっていくには、一人ひとりの選手が「判断力」を養い、「身体能力」を高めていくことのはずだ。実際にはその場しのぎのマニュアル的対応が優先され、個々の力をどう伸ばしていくかは後回しになってしまう。取材現場は毎回似ているが、毎回微妙に違う。まったく同じ現場というのは二度とない。それゆえ、何をどう映像や言葉で切り取ってニュースや番組にするかは、個々の判断力や倫理、問題意識が必要になってくる。個人的な感想では、不祥事のたびに現場取材の記者やディレクターが上司に判断を求めることが多くなり、個々が判断しなくなっていった。その結果、個々の判断力は低下していく、という悪循環に陥っている。

不祥事が続けば続くほど、どちらかというと「管理志向」の経営幹部や管理職が発言力を増す、という構図もある。こうした傾向は現場のやる気のある取材者たちにとっては気が重くなるばかりで仕事のモチベーションが下がっていく。どんどん委縮していく。権力の裏側の理不尽を暴こうという攻めの取材が減っていき、無理はしないでいこうという無難な守りの取材ばかりになる。

こうした時に必要なのが、自分が一体なんのために、テレビの仕事をするのか、という原点だ。たった一人でも自分がかかわった番組やニュースで勇気づけられたという人がいたら、記者やディレクターにとって励みになる。だが、ことあるごとに報告・連絡・相談(ほう・れん・そう)を求められ、自分の感性や問題意識がどの程度反映できているのか分からない工場の流れ作業の一部のような仕事になると、形だけこなせば良いという意識になってしまいがちだ。上からあれはダメ、これはダメと、マニュアル的な手順を押しつけられ、それが増えていくと現場の取材や番組制作が重苦しいものになっていく。生き生きした雰囲気が失われていく。

取材のあり方という面からも考えてみたい。日本テレビでかつて起きた”不適切取材”では、「岐阜県の裏金虚偽証言」では取材対象となった内部告発者は「インターネットの募集サイト」で見つけた人物だった。また「ペットビジネス」は取材相手である企業側に客をやってもらったケース。「飲料水」は取材者が知らなかったとはいえ、企業に客を紹介してもらったケース。今回発覚した「出会い系詐欺」「ネットのサクラサイト」も弁護士に「被害者の紹介」を頼んだケースだった。しかも、その弁護士が取材相手として信頼に足る人物かどうかを他の団体などに確認したとは思えない。
つまり、自分の足で当時者を探そうとせず、関係者にメール1本、電話1本で被害者などを探そうとした「安易な取材」という点で共通している。汗をかいていない取材方法でこうした問題が起きていることにはもっと注目すべきだ。
私自身は現在、「ブラック企業大賞」などの労働問題や生活保護法の改正問題に関する問題告発や相談を受ける社会活動にいくつかかかわっている。そうした活動をする団体にはマスコミから頻繁に電話やメールが寄せられる。その多くが(たとえば、ブラック企業で現在働いている人、生活保護を受けて就職活動をしている人などの)「当事者を紹介してほしい」というものだ。取材経験の豊富なマトモなジャーナリストならば、背景や活動、ヒントなどをこうした団体に取材するものの、当事者そのものは自分の力で探す。新聞や公共放送などの大半の記者、ディレクターはこのタイプだ。こうした団体のイベントにもよく顔を出して勉強している。
しかし、取材経験に乏しいジャーナリスト(取材者)はどうかというと、そうした事前勉強はいっさいせずに、ある日突然、電話してきて「当事者をいついつまでに紹介してほしい」と要請してくる。民放テレビの報道番組、情報番組や一部の週刊誌に多いタイプだ。だが、内部告発をしている人たちや生活保護を受けている人たちは万一、そのプライバシーが漏れると人権侵害になりかねない。そこで「紹介」をするにしても以前から信頼関係が出来ている記者だけにとどめているが、そうした事情を想像もせず、勉強もせずにいきなり電話してくる民放の不勉強な記者やディレクターは後を絶たない。こうした「紹介してもらう取材」はそのものが本来、プロの取材者として恥ずかしいことだという意識がない。これは一体どうしたことか。取材相手は自分で探すものではなく紹介してもらうのが当然だと、上司も習い性になっていて誰も注意しないのだろう。

皮肉なことに”不適切な取材”の発覚でマニュアルが増え、チェックポイントも増え、連絡などをより頻繁にしなければならなくなるとどうなるか。取材者はますます忙しくなり、取材対象である当事者を自分の目と耳と口で探すことが困難になっていく。そんな皮肉な現実がある。取材現場・番組制作現場はどんどん人員削減、費用削減が続いていて、「短い日数で仕事を遂行する」というコストパフォーマンスを求められる。特に日本テレビは記者やディレクター、カメラクルーの数が他の民放よりも少ない、ということを現場の取材者たちが日頃よく話題にしている。いきおい、取材が「紹介してもらう」ものになっていきがちだ。
放送人はみな広い意味でのジャーナリストだ。この仕事を自分が何のためにやっているのか。何を優先すべきなのか。毎回毎回違う現場のニュースでそうした問題を日々議論していくことが「個々の身体能力アップ」につながっていく。
一つひとつのニュースを伝える時に、その目的や役割を自問し議論していくことが「身体能力」をアップさせていく。残念ながら、今のテレビの職場からは、そうした議論を重ねる余裕がどんどん失われつつある。このジレンマをどう克服すればよいのか。
今回また不適切な取材を重ねてしまったことで、BPO放送倫理検証委員会が動き出し、またしても日本テレビに再発防止策を求めるなどの動きになっていくのだろう。今回は情報番組だから報道番組ではない、とか局内の議論が想像される。だが、視聴者にとっては情報番組でも報道番組でもテレビから「報道」されていることに変わりはない。
同じ過ちが何度も繰り返され、今回もまた起きてしまったことで放送倫理検証委員会の機能の限界も見えてきた。テレビ局内の再発防止も機能しないことも判明した。つまり、今までのやり方は間違っていたのだ。関係者はそのことをきちんと認めて、形だけの改善策に終わらせず、社員やスタッフ一人ひとりがジャーナリスト、という意識を徹底させるところから始めてもらいたい。

角を矯めて牛を殺す。そんな愚行は避けてほしい。マニュアル主義を強めても、チェックポイントのポストを増やしても、同じような不適切な取材はまたいずれ起きる。今、会社としてやるべきことはむしろ逆なのだ。一人ひとりの記者やディレクターを育てること。ジャーナリストの精神を定着させること。それ以外に根本的な解決策などない。
間違った報道で視聴者の信頼を失ったなら、正しい報道で信頼を回復してほしい。形だけの責任取りや再発防止策など要らない。受け身の姿勢の社員を作ってはならない、

仕事の借りは仕事で返せ。

一人ひとりの取材者がジャーナリストとしての自覚を持って、委縮せずに、やるべき仕事、堂々と攻めていく報道の体制を作ることを強く願っている。

水島宏明
法政大学教授・元日本テレビNNNドキュメント」ディレクター